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恐竜の問題

恐竜に関しては多くの人が知るところだが、これにまつわる珍現象は学校だけでなく、一般の社会でも起きている。

昭和30年代の小学校では、大型の恐竜はすべて海や湖に住んでいたと教えていた。当時学校の理科室には海や湖で泳ぐ恐竜の絵が実際に張られていた。それがいつの間にか何十メートルもの巨大恐竜が地上を闊歩するようになり、終いには「ジュラシック・パーク」といった映画まで作られるようになった。

何が変かというと、恐竜は今と同じ重力下では歩くどころか立ち上がることさえできなかったからだ。現代の象が5t~8tなのに対し、ブラキオサウルスなどは40t~80t以上あったといわれている。しかしこれでは到底現在発見されている骨が体重を支えることができなかったことが分かっている。これは体重からそれを動かす筋肉の量を計算し、さらにその筋肉を支えられる骨の太さを計算するという手順で導き出されるそうだ。その計算過程で出てくる数字は信じられないものになるという。例えば体を支える筋肉だけで体重のほとんどを占めなければならなくなったり、さらにそれを支える骨は再び体重の大部分を占めなければならなくなったり、さらには脚の太さが胴体と同じようにならなけばならなくなったりと、奇妙なことが何度も起きるという。

こうしたことを考えれば、昭和30年代の学校の教えはかなり良識的だったと言えるかも知れない。現在はこうしたことは全く無視され、学校でも一般社会でもほとんど誰も触れようとしない。

まだ不思議なことはある。とてつもなく長い首を持ったマメンチサウルス・ホチュアネンシスなどは体長23メートルのうち、半分近くが首を占めていた。現在のキリンは体高5メートルのうち心臓から脳までの高低差は2メートルある。そのため首の血管には特殊な弁がついていて、血のが逆流を防いでいる。また脚は鬱血しないようその皮膚は硬質化している。だから生物がそれ以上の心臓と脳との高低差を持つことはあり得ないだろうと言われている。それは血管の弁だけの問題でなく、血管そのものの壁の厚さも問題となり、さらにこの恐竜の場合、心臓は少なく見積もっても6~7メートルの高さまで血液を送らねばならないからだ。これはキリンの心臓と脳の高低差の三倍以上になり、同じ血管の構造では血液を送ることは不可能となる。それだけではない。ポンプとしての心臓が信じられないほど大きくなければ、血液を脳まで送り届けることはできないのだ。

では次に翼竜について考えてみよう。翼竜が持っていたのはいわゆる羽ではない。今の蝙蝠と似ていて、手の指と脚の間に張られた皮膚及び肉の膜でできていた。これがどのように飛ぶことができたのか詳しいことは解っていない。ケツアルコアトルスという翼竜の場合、翼開長が12メートル、体重は50キロ位(90キロとする説もある)あったとされる。全体の大きさに較べ体重は比較的軽いといえるが、それでも50キロといえばこの翼竜がその場で飛び立つのは難しい。すなわち飛行機のように助走を付けて飛び立たねば飛翔は無理だったと考えられる。前出の浅川嘉富氏によると、彼がケツアルコアトルスを翼長12m、翼面積4.3m2、体重90kgとして計算したところ、この必要助走速度は時速58キロになったという。ではこの翼竜はそんなに速く走れたのだろうか。残念ながら中が空洞の骨や軽い体重から考えて、それだけの筋肉を持っていたとは言えないそうだ。

問題はまだある。この翼竜は羽を持っていないので当然『風切羽(かざきりばね)』はない。一般に初列風切羽はスピードを得るプロペラの働きをし、次列風切羽は揚力を得る働きをする。さらに尾羽は舵を取る役割をする。こうしたものを持たない翼竜がどのようにして飛んだのか、恐竜学者も生物学者も答えることはできない。


所長の見解

今の話では、結局恐竜や翼竜は歩けも飛べもできなかったことになってしまう。しかし実際には彼らは歩いたり飛んだりして生活していたはずだから何かが間違っていることになる。その一つはもちろん重力だろう。今より当時は重力が弱かった、と言えば問題は解決するように見える。だがそれは主流の学者にとってとんでもない見解ということになる。彼らの知識の範疇を遙かに逸脱していて、容認することは到底できないからだ。

問題解決のヒントは物理定数にあると思う。例えば光の伝播速度は、秒速29.9792458キロメートルと決められている。「決められている」とは変な言い方だと思うかもしれないが、これは測定の度に違うからだ。地層の年代も、放射性物質などの半減期をもとに測るわけだが、これも同じ地層を何度か測ると、そのつど値が違っている。学者たちはいくつかの値のうち、他の認められた仮説となるべく矛盾しない値を選んで決める。

地層の場合は時代を遡るほどその値にばらつきが出て、何億年の差が出ることもしばしばだが、光速や重力定数の場合、極端な差は出ない。とはいえそれは現在の測定値の範囲であって、過去においてどうだったかは誰にも分からない。わずかな資料を基にだが、光は次第にその速さを増しているという人もいる。

このように定数とされているものも実は絶対的なものではなく、ばらつきがあったり、変化さえしている可能性がある。恐竜が生きた時代は現在よりも重力が弱かった、と説明しようとして幾つかの挑戦的な説が唱えられている。しかしそれらは説得力に欠けていたり、弱点があったりして多くの人を納得させるに至っていない。

ただその中で『土星神話仮説』と言われるものはなかなか興味深い。これは地球がかつて土星(または木星)の周りをを回っていたとするもので、地球がラグビー・ボールのように横長になって、一方の突出部分を主星に向けた状態で公転していたというものだ。だとするとそちらに引っ張られて、現在のすべての大陸が一箇所にかたまっていたとするパンゲア説とも整合するし、そのパンゲアでは重力はかなり小さかったと予想できる。さらには最近の研究結果である、数千万年前までは地球に季節はなかったという事実とも整合する。

この仮説にもまだ不満な人は多いと思うが、私はさらに奇想天外な仮説を紹介しようと思う。それは次元の変化というものだ。一般に言われるように地球の歴史上、世界規模の、あるいは宇宙規模の天災は実際にあったと考えられる。しかし6500万年前に恐竜だけが滅んだというのは説得力に欠けるだろう。そうではなくて、私は太陽系全体(あるいは銀河系全体)の次元が変化したのではないかという説を考えている。この場合の次元とは三次元、四次元という意味ではない。一つの時代を終えると、この世界は質的な変化を遂げ、新たな生命系形態に取って代わられるというものだ。三葉虫も古生代に大繁栄したが、その絶頂で大量絶滅して魚類などに取って代わられ、ベルム紀末期に完全に絶滅している。アンモナイトも三畳紀に大量絶滅し、恐竜などに取って代わられている。多細胞生物が現れて以来、少なくとも6度の大量絶滅があったとされている。

噴火イメージ学者たちはこれらの絶滅の原因を、お決まりの隕石・彗星衝突や火山の爆発に結び付けようとしている。しかし本当にそれで全てが説明できるだろうか。私は一つの時代が終わると生物体系に質的転換が起き、新たな生物が次の時代を担うのではないかと考えている。地球の歴史上、質的な次元上昇が幾度も起こり、それが生物の歴史を作ったのではないかと。

ところでこの百年間に絶滅した大量の種を考えれば、そして近い将来消滅してしまうだろう大量の絶滅危惧種を考えれば、現代もまた大量絶滅の時代だと言えるだろう。それどころか数百年間という時間は地球の長大な歴史に較べれば一瞬に過ぎないので、我々の時代は過去のいかなる大量絶滅時にも例を見ない、極端に短い期間に滅びつつあると言えるだろう。では我々は次に来る何によって取って代わられるのだろうか。それはここでは詳しく述べないが、新たな質的転換により、我々を超えたより霊的な生命体によって取って代わられるのではないかと予想している。


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