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おわりに

これまで「進化論の問題点」に関して九つの項目に渡って話を進めてきた。実際はこれらの問題に関する議論はもっと複雑だが、しかし正統主流の学説の言っていることが稚拙でまやかし的な論理の展開であることに変わりはない。実のところ複雑な理論が高級で正しいということはめったにないもので、私は真実というものは精妙ではあるがsimpleだと思っている。そう、物理学で言うオッカムの剃刀(かみそり)のように。

Entities should not be multiplied beyond necessity. 
(必要以上に多くの実体を仮定すべきではない)
Given two equally predictive theories, choose the simplest . 
(同程度うまく説明する仮説があるなら、より単純な方を選ぶべきだ)

これは具体的にどういうことかというと、朝起きると庭の大木が倒れていた、という状況があったとする。最も単純な説明は「嵐が来て倒れた」、あるいは「老木だったので朽ちて倒れた」といったものだろう。しかしここで「巨人が来て倒して行った」と言った場合、これだけの説明では終わらなくなる。何故なら、ではその巨人はどこから来たのか、どんな風貌だったのか、どうして現れたのか、今はどこにいるのか、等々さまざまな疑問に答えなければならなくなるからだ。もしそこで「その巨人はヒマラヤに住んでいる可能性がある」と言った場合、ではヒマラヤのどこなのか、どんな生活をしているのか、仲間はいるのか、何を食べているのかと、さらに様々な疑問に答えなければならなくなる。

単純だから正しいということではないが、多くの場合単純な説明の方が説得力があり、真実を突いていて、万人に受け入れられるということだ。

最後に世界的に有名な日本人遺伝学者である木村資生(きむらもとお)氏の「分子進化の中立説」について触れておきたいと思う。この理論は数式を使ったりして素人目には難解に見えるが、言っている内容は一言でいえば次のようになる。

銀河「分子レベルでの進化的変化、すなわち遺伝物質それ自身の変化を引き起こす主な要因は、正のダーウィン淘汰ではなく、淘汰に中立な、またはほとんど中立な突然変異遺伝子の偶然的固定による」となる。

これはどういう意味かというと、分子レベルでの(すなわちDNA上での)遺伝子の進化は、ダーウィンの進化論の説明のように自然淘汰によって起こるだけでなく、生物の生存にとって有利でも不利でもない中立的な突然変異を起こしたものが偶然に広まり、それが集団内に固定することによっても起きる、ということだ。

これは偶然起きた突然変異が偶然集団の中に広まるという、要は偶然が進化の鍵を握っているということを言っているだけで、それ以上の特別なことは言っていない。ではいったい偶然とは何なのか。これまでも言ってきたように、進化論ではまるで偶然が全能であるかのように、何もかも偶然のせいにすれば起こり得るとしている。私に言わせればこのような理屈は単なる詭弁であって、いくら複雑な論理やデータや数式を使っても覆い隠せるものではないと思う。

はじめに」でも言ったように、進化の総合説とは都合の良いことは取り入れ、都合の悪いことは無視して、つぎはぎの化け物のようになった仮説だ。このようなものはいくら建て替えや建て増しを繰り返してもまともなものにはならない。これは進化論に限ったことではないが、もっと土台から見直さなければ、さらに言えば物質次元を超えた広い視野で見つめなければ、真実は見えてこないということだ。物質界の範疇で議論を繰り返し、誰の論が正しいかと争っても、結局は檻の中で猿がお山の大将を争っているようなものだと思う。

考古学や進化論は、人間とは何かという本源的な問題と直接向き合う学問だと言えるだろう。こうした重要な問題に対しては、学者を含めた我々皆が変なものは変、詭弁は詭弁と素直に言えなければならないだろう。それが言えて初めて、我々は多くの洗脳としがらみから自分を解き放つことができるだろうし、それによって巨視的な目で物事を見れるようになるのだと思う。

<進化論の項 終わり>


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