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特異点

ビッグ・バン理論によれば宇宙は膨張していることになっているので、時間を遡ってゆくと宇宙はどんどん小さくなり、百数十億年前の始まりの時には、宇宙の全物質が一点に集まり、密度および温度が無限大になっていたことになる。この一点のことを特異点という。これは普通のブラック・ホールの特異点が持つ「事象の地平面」で覆われていなかったと予測されるため「裸の特異点」と呼ばれている。事象の地平面で覆われていれば数学的に、すなわち理論的に問題はないが、裸のままでは理論上あってはならないものだという。

現代物理学では密度や温度が無限大というのは許されないことなので、裸の特異点はビッグ・バン理論を揺るがす致命的な問題となっている。にもかかわらず理論物理学者のステイーブン・ホーキングとロジャー・ペンローズはこの特異点の存在を証明し、その事象においては一般相対性理論が破綻することを示した。一般相対論は有限の値しか扱えないので、密度無限大が出てくると機能しなくなる。ではいったいどういうことなのか。中には一般相対論が破綻するのは古典物理学を基礎として証明を行なったからであり、量子効果を含めた考察は、かの二人の専門の範囲外にある、とかばう人もいる。

これを打開するためにペンローズは「宇宙検閲官仮説」なるものを持ち出し、自然界には裸の特異点が存在しないようになっていると言い出した。学者が得意とするまやかしの論理だ。学者の多くは自分が守ろうとする学説に決定的な欠点が見つかると、とんでもない夢物語をぶち上げるものだ。もし宇宙を見回して検閲官なる存在があるとすれば、それは神と呼ばれるものしかないだろ。それを神でなくて法則と呼ぶなら、その法則はいったい何者が作ったのかということになる。こんな理論は永久に証明も反証もされないだろう。

さらに不思議なことがある。ビッグ・バン理論では時間も空間もなかったところから、いきなり宇宙が生まれたことになっている。しかし物理学では無から何かが生まれることなど基本的に認めていない。これは高校生でも知っているエネルギー保存の法則を犯していることになる。いったいこの矛盾はどうしてくれるのだろう。

ホーキングは、無にはポテンシャル・エネルギー(potential energy=潜在エネルギー)があって、それが量子論的ゆらぎによってある限界を超えた時、すなわち量子飛躍が起こった時宇宙の卵が生まれるのだと訳の分からないことを言った。宇宙物理学を専攻した学生や現代物理学を崇拝する一般の人はこうした彼の仮説をありがたく聞いているかもしれないが、私に言わせればこんな物語は彼らが軽蔑する宗教よりも遙かに宗教的だと思う。そもそも何ゆえ無にポテンシャル・エネルギーがあるのか。無とは何もないから無ではないのか。無に何かがあったとき、もはや無ではなくなるのであって、それはすでに宇宙が始まっていたことを意味するのではないか。だとすればビッグ・バン理論は宇宙の始まりを説く学説ではなくなってしまう。


所長の見解

ホーキングのいう宇宙の卵についてもう少し説明を加えておこう。彼は宇宙が点から始まったとするなら密度が無限大になってしまうので、いきなり球体から始まったとする考えを発表した。彼が思いついたのは以下のようなものだ。

特異点三角形一つの頂点(角)を考えてみよう。この頂点の先は限りなく細くなって終いに点になり、その先は何もなくなる。すなわち無となる。これを逆方向から見ると、何もないところから点が現れ、次第に面積を得て広がっていくことになる。これが三次元事象を二次元に落として見た時の宇宙の始まりだ。しかしこれでは始まりの点に全ての物質が含まれていなければならないことになり、密度無限大となる。これが特異点の持つ問題だった。

これを回避するためにホーキングは角ではなく曲線を考えた。彼は三角形の一点ではなく、円のある一ヶ所から始まったとした。円周の一部である曲線を考えればいくら拡大しても曲線となる。したがって宇宙は一点ではなく、ある幅をもって始まったと彼は主張した。これがつまるところ宇宙の卵だ。

我々が高校で習ったユークリッド幾何学では、曲線に接する直線は一点を共有することになっているが、彼の説明ではこうはならないらしい。まるで狐につままれたような話だが、学会というところでは彼の理論が真顔で受け止められている。

さて宇宙背景放射が現代のテクノロジーによって発見されたため、ビッグ・バン理論を支持する学者は勢いづいた。彼らはこのニュースが世界中に配信された時、ビッグ・バン理論の決定的な証拠だとして、鬼の首でも取ったように小躍りした。しかしだからと言って特異点問題が解決されたわけではない。依然としてこの問題が致命傷となりかねない厄介なものであることに変わりはないのだ。このため今もこの分野の学者たちは解決の道を探っている。

一方、ビッグ・バン理論の学者たちが特異点回避の解決策を見つけられずもたついているうちに、一度死んだはずの定常宇宙論が息を吹き返そうとしている。

この定常宇宙論とは、我々が知りえない無限の過去から永劫の未来に至るまで、宇宙は一定の状態で存在するとする学説だ。もちろんこの仮説にもいくつか問題点があって、ビッグ・バン理論を凌駕するには至っていない。この論自体は歴史が古く、中世以前の静止した宇宙観を引きずっている。しかし近年この学派の人たちはビッグ・バン理論の欠陥を次々と暴いており、中には宇宙膨張の論拠とされる赤方偏移そのものの欠陥を指摘する学者も現れ、それなりの注目を集めている。

このように宇宙論の攻防はそれぞれに栄枯盛衰を繰り返しながら、決定的な優越を得られないまま現在に至っている。 

宇宙さて特異点は今のところビッグ・バン論者にとって悩ましい問題だが、私は現在のような理論や研究を積み重ねていっても、明確な宇宙誕生の姿には到達しないだろうと見ている。何故なら全宇宙と表現した場合、そこには我々の住むこの宇宙以外の宇宙も含まれるかもしれないからだ。物理学者の中にも多宇宙論を唱える人はいる。というのもホーキングの主張に従えば、無のポテンシャル・エネルギーが量子飛躍を起こせば、いつでも、いくらでも宇宙は生まれるはずだからだ。またインフレーション理論に従えば、宇宙誕生の初期にインフレーションを起こせばいくつもの泡宇宙ができることになるからだ。

このようにもし多宇宙が存在するなら、ビッグ・バン理論は宇宙の真の誕生を説明するものではなくなってしまう。この理論では無数の宇宙が存在する宇宙があるということになり、我々はそれを名付ける言葉さえ持っていない。もしこれが本当なら様々な疑問が浮かび上がってくる。いかなるメカニズムによって多宇宙は存在できるのか。多宇宙が生まれたのは単なる偶然に過ぎないのか。もし時間という概念が通用するなら、多宇宙の中でそれは一体いつから存在するのか。それとも時間はそれぞれの宇宙で別々に生まれるものなのか。そもそも時間経過など比較可能なものなのか。またそれぞれの宇宙は互いに干渉し合うことはあるのか。それとも互いに完全に孤立した存在なのか。そして多宇宙は、無数の多宇宙を含むさらに大きな宇宙の一部に過ぎないということもあるのか、と。

これについて書かれた書物がある。もちろん物理学者が書いたわけではない。坂本政道氏が書いた『死後体験』という書物だ。彼はアメリカのモンロー研究所というところへ何度か足を運び、ロバート・モンローが開発した、人工的に幽体離脱を起こさせる装置によって異世界を体験したという。

彼によれば幽体離脱すると必ずガイドがやって来るそうで(日本風に言えば守護霊だろう)、そのガイドが当人の意識レベルに合わせて様々な世界へ案内してくれるという。彼は最終的にこの宇宙を超えた世界を垣間見る体験をしており、その様子は今私が言った多宇宙論に似た世界だ。それは我々の住む宇宙と同等の宇宙を無数に含む大きな宇宙があり、その上に大きな宇宙を無数に含む宇宙があり、さらにその上にそれらの宇宙を無数に含む途方もない宇宙がある、といったもので、この階層的宇宙がどこまで続いているかは計り知れないと書いてある。

誰もが思うのは、これらのことは今の段階では証明はとうていおぼつかないということだろう。しかし本当にそうだろうか。証明などおぼつかないと思わせているのは、現在の科学的手法に頼っているせいではないだろうか。私に言わせれば人間存在は稚拙な論理などを超えた存在であり、欧米人がイメージするような高度で精密な機械などではないのであって、現代科学など想像も及ばない深みと広がりを持っているのではないかと思う。我々は脳の使い方を良く知らないばかりか、脳以外による認識の仕方があることなど想像もしていない。しかし例えば心臓を移植した人が、心臓を提供してくれた人の記憶を持つようになったということも実際に起きており、記憶の本当のメカニズムさえ我々はまだ知らない。

こうして考えてくると、「科学的に証明できない」、「科学に反する」、「論理的でない」などといった言及は、稚拙で狭小な世界に閉じこもっているから出てくる言葉であって、科学などという低次元の認識形態を超えたところに真の人間の姿や真の宇宙の姿があるのではないかと思われる。我々はもう一度謙虚に、学校で受けた洗脳から脱却し、自らの感性で物事を見つめてみるべきだと思う。


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