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銀河とダーク・マター

銀河がどのようにして生まれたのか、現在のところ確たる定説はない。ビッグ・バン理論から導き出される宇宙創成の物語と、それに続く銀河誕生の説明は一応あるが、いくつもの問題を抱えている。宇宙論者は素粒子やプラズマや重力などが、どのように銀河が生まれるために関わったのかを複雑な数式を用い、彼らなりの想像力を働かせて議論を重ねている。例えばこんな議論がある。

「宇宙論の標準理論では、ビッグ・バンから三万年後のプラズマ時代に、非バリオン物質からなる重たい(冷たい)暗黒物質の凝縮によって最初の構造ができたとされている」
「この暗黒物質がその重力によってバリオン物質を引き寄せ、集まった水素とヘリウムが後にさらに凝縮して、いま我々が見る星々や銀河ができたということになる。しかしコンピュータ・モデルによれば、この暗黒物質の粒子の質量は陽子の60倍になる」
「一方ニュートリノのような軽い(熱い)暗黒物質は、はるかに大きなスケールで、それももっと後の時代に収縮したはずである」
「しかし温度や重力による収縮よりも、拡散性や粘性、それに流体の生み出す乱流などの要素の方が重要だと思う」
「非バリオン的な収縮物質の質量はウィンプス粒子(重い暗黒物質および軽い暗黒物質)の質量と温度によって決まるものの、それら二つの変数が分かっていないので、コンピュータ・モデルでは大きな自由度が生じてしまう」
(以上は天体物理学者、カール・ギブソンの発言をもとにまとめたもの)

一般の読者には何を言っているのかよく解らないかもしれないが、問題点は最後の箇所にある。質量と温度の変数が分かっていないので、コンピュータ・モデルではその変数の設定によって大きく結果が変わってしまうということだ。しかも驚くなかれ、重い暗黒物質と軽い暗黒物質を含めたウィンプス粒子の中で、現在発見されているのはニュートリノだけだ。

核物理学や宇宙論ではどんな顕微鏡でも見ることのできない物質や、百億年以上前の宇宙創生の経過を扱うため、様々な未完成の仮説(これをモデルという)を用いてシミュレーションを行なっている。したがって現代物理学では数々の架空の粒子を扱っている。暗黒物質にしても、実は一つも発見されていなかったのだが、ようやく日本のスーパーカミオカンデによって、ニュートリノのだけは検出に成功した。したがってこの時の物理学者の興奮は一通りではなかった。しかし分かっているのはこれ一つだけなのだ。

ビッグ・バンの直後、火の玉だった宇宙の内部でどのように物質の偏りができ、銀河ができるための下地が生まれたのか。今日の標準ビッグ・バン理論では、宇宙誕生の初期には物質は限りなく一様でありながら、しかも同時に偏りがあるという条件を満たさなければならない矛盾を抱えている。これについて少し説明しよう。

星々イメージ地球からどの方向を見ても銀河や星々はほぼ同じ数だけ見える。およそ150億光年という、我々が見ることの可能な宇宙の地平線の範囲内においては、全天どの方角を見ても一万分の一の精度で物質の密度は等しい。これほど宇宙が一様なのに、なぜ銀河のような物質の偏りができたのか。もし完全に一様であったとすれば、銀河どころか星一つできず、宇宙空間には陽子や電子が、あるいは軽い原子がまるで空気のように漂っているに過ぎなかっただろう。逆にもし最初に偏りがあったとすると、物質は引き合って増殖し、宇宙は巨大なブラック・ホールだらけになっていたはずだ。

今のような宇宙の姿になるには、大規模構造としては物質は一様で、局部的には偏りがなければならない。そんなうまい具合にどうやって宇宙は始まることができたのか。これをきちんと説明できる理論は未だ現れていない。「インフレーション理論」や「宇宙超弦理論」、また「量子ゆらぎ」などによって説明を試みているが、現在のところどれも成功しているとは言えない。

もうひとつ重大な謎がある。宇宙はなぜこんなに平坦なのかという問題だ。平坦とは臨界密度が1または1に限りなく近いということで、もし宇宙誕生時にこの値が1よりわずかに大きければ宇宙は誕生してすぐに収縮に転じ、ビッグ・クランチを起こしてつぶれてしまっていたはずだ。逆に1よりわずかに小さければ、急激に膨張して銀河も星もできなかったはずなのだ。

宇宙が現在のような状態であるためには、ビッグ・バン直後の宇宙内のエネルギー密度が10-15(10の15乗分の1)の精度で限りなく臨海密度、すなわち1に近くなければならない。現在の観測ではこの値が0.98から1.06の間とされている。しかしこんなに幅があっては何の説明にもならない。1の右横に0が15個並んだ数字を思い浮かべてもらえるだろうか。その数字分の1の精度で1に近くなければならないのだ。どうして宇宙はそんなうまい臨界密度で始まることができたのか。これに対しても現代科学は答えることはできない。物理学の書物では「インフレーション理論」によってこれは解決されると書いてある。しかし「インフレーション理論」はあくまでも仮説であり、未だにいくつかの問題を抱えている。もしこの仮説が正しくなければ、臨界密度の問題も解決されないことになる。


所長の見解

最近注目を集めているのがプラズマ宇宙論だ。銀河に限って言えば、我々の天の川銀河のような渦状銀河では重力のみで考えると、遠心力の方が勝って銀河はバラバラになっているはずだという。これが重力的平衡を得るには、光学望遠鏡で知り得る物質の十倍近くの質量が必要となる。このあるべき見えない物質のことをダーク・マター(暗黒物質)と呼んでいる。ダーク・マターにはいくつかの候補は挙がっているが、決定的なものは見つかっていない。この候補の中には先に言った種類の暗黒物質も含まれている。

しかしあくまで重力だけで解決しようとしても無理があるという見方もある。重力は非常に弱いため、なぜ銀河を一つにまとめて回転させることができるのか説明できない。これにダーク・マターを加えてもまだ足りず、今のところ解決の見通しは立ってない。そこで出てきたのが電磁気力だ。これを唱える学者は今のところ異端とされているが、この電磁気力は重力のおよそ1040(10の40乗) 倍の強さがあるため銀河全体をまとめる力としては有力候補になり得るという。

プラズマとは原子核(中性子と陽子を含む)とその周りを回るべき電子が一体とならず(すなわちイオン化した状態で)、陽子や中性子や電子がバラバラに自由に飛び回っている状態をいう。この状態の気体は電気を通すといわれている。すなわち電磁気力が及ぶ。星間物質としてこれが宇宙空間に存在する場合、わずかな量でも電磁力を媒介すると考えられる。例えば我々が知っている空気には室温27度で1立方センチあたり一億の一億倍のさらに千倍の分子が存在する。ところが地球の電離層の上のプラズマ圏では1立方センチあたり100個~10000個しかないのに温度は数千度ある。それが磁気圏、特にマグネトシース内では1立方センチあたりわずか30個から50個のプラズマ粒子しかないのに、温度は十万度になる。さらにこれが太陽風によって地球の反対側に現れるプラズマシート内だと、1立方センチあたり一個しかないにもかかわらず、温度は百万度にまで上がる。

このようにプラズマは希薄でも異様な力(熱を含む)を発揮するが、その理由は現在のところよく分かっていない。しかし重力と違ってプラズマは実験室で容易に作り出すことができるので、様々な研究がなされ、その本質は解明されていないものの、溶接などの技術として実用化されている。

渦状銀河さて電磁気が渦状銀河の腕の部分を、希薄なプラズマを通って銀河の中心部に流れ込んでいることが明らかになりつつある。膨大な電磁気が各腕を通して中心に集まると、それは銀河面と交差する中心軸に沿って飛び出してゆき、シャワー状にあるいは傘のように開いて銀河全体を覆うと考えられている。これがどのように銀河内の太陽系に影響を及ぼすかは現代科学には知る術(すべ)もないが、銀河を渡る電磁気とそのシャワーが、銀河の形状を維持するのに一役買っていると考えることはできるという。この解明が進めば重力によって説明できない部分、すなわち銀河がバラバラになっていない理由がダーク・マターを想定しなくても説明できるかもしれない。

次に物質が持つエネルギーについて一言触れておこう。これを読んでいる読者はなぜ希薄なプラズマが普通の物質よりも熱や力を発揮するのか疑問に思われると思う。核分裂や核融合を考えていただければ解るように、分子や原子(すなわち物質)にはとてつもないエネルギーが潜んでいる。この原子をさらに分解すると原子核と電子になる。これが自由に飛び回っているのがプラズマだ。もしプラズマが希薄ではなく、密度が高い状態になると、電子は原子核に捕らえられ、両方合体して普通の原子(物質)になってしまう。

こう考えてくると、希薄であることはエネルギー・レベルが低いのではなく、かえって高いのではないかと疑いたくなる。話は飛躍するかもしれないが、例えば人魂や霊などは普通の物質よりも希薄であると想定すればその動きや外観に納得がいく。ふわふわ浮いたり半透明になったりするという証言と符合するからだ。これらを高エネルギー体として研究の対象としてはどうかと私は思っている。

もちろん現代科学は霊的存在を認めていないが、しかしそれは現代科学が知る術を持たないからで、だからといって存在しないことの証明にはならない。すべての物質は波動の性質を持っている。すなわち陽子も中性子も電子も光も、すべては波動だと言える。これは一般に科学も認めるところだ。ただこれを捕らえようとする時、人間には粒子の姿となって映る。物理学では波と粒子は相反する事象であり、その両方の性質を持つことを現代科学は説明できないでいる。

これを解く一つの鍵は波動の高低にあるのではないかと私は思う。すなわち波動の振動数が高ければ希薄であってもエネルギーは強く、逆に振動数が低ければいくら密度が高くても我々が見る物質のようにエネルギーは弱いのではないかと。密度が高く振動数が低いため、すなわちエネルギーが弱いため、我々は日常で難なく物に触れることができるということだろう。

もしそうであるなら我々は波動を高めることによって、今あるこの状態のまま霊的存在にもなれるのかもしれない。イエス・キリストがガリラヤ湖の水面を沈まずに歩いたり、ゴルゴダの丘で処刑されたにもかかわらず三日後に蘇ったということも、高い波動を維持することによって可能だったのではないだろうか。だとすれば我々は単に高い波動を得る方法を知らないだけだということになる。多くの人はイエスは神の子であって、我々はその被造物だから違うと諦めているかもしれないが、そう人間を見限らなくてもよいのではないだろうか。すべてが波動によって成り立っているのなら、我々は物を自由に操ることも可能であり、さらに自らも霊的に浮遊することも可能なのではないだろうか。高い波動を得る方法があるとすれば、それは愛とか慈悲とか呼ばれるものを身に着け、それを実践する道のりの果てにあると私は思っている。これについては別の項(善悪と霊的世界、水についての考察、及び神の項目)で詳しく述べたいと思う。


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