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占い

占いの歴史は非常に古い。中国では亀の甲羅や動物の骨を焼いてひび割れを起こし、それを読み解いて吉凶を占ったと言われている。このときのひび割れがやがて甲骨文字となり、後の漢字の土台になったと言われている。この文字は殷の時代に使われていたので、時期は紀元前17世紀まで遡る。占い自体は甲骨文字ができる以前から行われていたと思われるので、おそらく中国大陸で国家が成立した時代と同じくらい古いのではないかと思われる。

一方、西洋占星術と呼ばれる占いがあるが、これはもともと西洋で生まれたわけではないので、頭に「西洋」を付けるのはおかしいと思う。これは約5000年前(4000年前という説もある)のバビロニア、すなわちメソポタミア地方で生まれたと言われているので、東西で分けるなら明らかに東洋に属する。ただアレキサンダー大王の遠征によってヘレニズム世界へも広がり、そこで発達したのも事実だ。

過去、世界中の王朝で占いは重要な役割を果たしていた。国の一大行事や戦争を仕掛ける時期など、国の存亡を左右する事柄のほとんどは占いを基に判断していた。ただし結果が「凶」と出た場合、「吉」が出るまで何度も占うということもあったという。

現代人は国家の重要な問題を占いで決めるなど、到底理解できないかも知れない。人によっては分かった風(ふり)をして、単に無知で原始的だったからだと言うかも知れない。しかしそれは現代の宗教ともいえる科学や論理的な考えを基準にした言い方に過ぎなく、古代人に対する理解にはほど遠い。そういう言い方をする人は自分の無知を謙虚に反省すべきだろう。

古代国家が国の重要案件を占いによって判断していたということは、今風の遊び心で誰かに占ってもらったり、悩み事を解決してもらうのとは訳が違う。何故なら戦争などの場合、王族の生死だけでなく民族そのものの存亡に関わっていたからだ。そこには偶然などという要素は入る余地はなかったと考えられる。

アインシュタインは『神はサイコロを振らない』という有名な言葉を残しているが、私は偶然という概念は、近代の数学者によって生み出された確率論に依るところが多く、一般的な概念となったのは時代的に見てかなり新しいと思っている。深層心理学者のユングもシンクロシニティ(共時性)という概念を提唱し、パウル・カウンメラーも「連続性の法則」を唱えた。二人はアインシュタイン同様、物事は偶然が支配しているのではないということを主張したのだと言える。

古代において占いが重要な役割を果たしたのは、物事は偶然ではなく必然によって起こるという考えが人々のものの考え方の基底にあったからに違いない。しかも古代国家においては普通に霊界や神界と通じ合える人がいて、中でも能力の高い者は王のお抱えになっていたと言われている。私の推測を言えば、古代国家の支配者は、人間的な判断がいかに間違いを犯しやすく悲惨な結果を招くかを、長い歴史を通して学んでいたのではないかと思う。

イメージ現代人の多くは全てを偶然の出来事に還元して、霊界の関与も神々の関与も否定してしまっているように見える。したがって人生は運・不運がまるでギャンブルの当たりはずれのように、努力や怠惰と関係なくやって来るように思っているようだ。そうした人の中には、お金を払って占い師やチャネラーなどのところへ通い、努力せずに金や財産や素敵な異性が転がり込んでこないものか、苦労せずに抱えている問題を解決する道はないものか、と甘い夢を見続けている。こういった人たちはたとえそれが実現したとしても自足を味わうことはないだろう。何故なら彼らは努力や切磋琢磨の意味するところを知らないし、そうしたことを理解するための辛い道のりを放棄しているからだ。言葉を換えれば、自分で苦労して編み出した人生哲学を持っていないからだ。こうした人は歪んだ優越感に浸ることはあっても、充実の中で暮らすことはないだろう。


所長の見解

古代の占いを現代のそれと比較すれば、その真摯(しんし)な態度と怠慢な態度という点だけでも大きく異なっている。古代においては民族の存亡がかかっていたので、占いに遊びの要素など入る余地はなかったと思われる。しかし現代では、個人的な悩みが、偶然やってくる何らかの幸運によって解決されないかと、あるいはできるだけ努力をせずにお金や恋人がやってこないものかと、自分の怠惰を補ってくれるものを求めて占い師やヒーラーやチャネラーのもとに馳せ参じている。

古代の国家運営は高い地位にある側近などが議論を重ね、まとめ上げた政策を王に提言していたと思われる。王はその提言を参考にはしたろうが、決断の際には取り巻きの連中に相談することはなかったと思われる。王は自ら決断するから王なのであり、もし誰かに相談したとすれば、たちまち側近連中の権力争いに巻き込まれてしまっただろう。したがって王だけは誰にも相談できず、誰にも頼れなかったことは容易に想像がつく。これは言い換えれば王は限りなく孤独だったことを意味する。そうした厳しいな状況の中で、占いは王の魂を救うという重要な意味を持って生まれたのではないかと思う。

現代は古代と違い、民主主義という美名のもとに国家運営が行なわれている。それは人間的判断が全てを決めるシステムであり、それによって多くの間違いを犯す結果を招いている。地球を現在のような住みづらい星にしてしまったのも、近代以降の民主主義政治の結果だと思われる。

また我々は民主主義が最も優れた政治形態だという洗脳を受けているので、古代の王政や占いによる政治決定などを原始的で野蛮なものとして見がちだが、本当に野蛮なのはどっちか冷静に見比べてみる必要がある。また現代人は様々に洗脳を受けているため、政治に限らずあらゆるものが古代では劣っていたと思う傾向にあるようだが、これも慎重に検討してみる必要がある。

古代遺跡を見れば多くの場合、彼らは現代の先進国に住む人々とさほど変わらない快適な生活をしていた様子が窺える。上水道、下水道、区画整備された住宅街、幅広い公道、きれいな自然の水脈と大気。もちろん全てがいいというわけではないが(実際森林伐採による問題は各古代文明で起きている)、少なくとも現代が抱えるスラム街や大量消費によるゴミ、化学製品による汚染などの問題などはなかったと推測される。現代人は科学の素晴らしい成果にばかりに目を奪われがちだが、比較するなら、こうした負の遺産も考慮に入れなければならないだろう。

イメージコンクリートとアスファルトの巨大な都市を作り上げても、結果的に花粉症になっている我々が果たして文明人と言えるのかどうか。全人類がコンピュータを使うほどの機械文明を作り上げながら、結果的に地球を汚染し破壊している我々が果たして優れた文明人と言えるのかどうか。我々は過去の人間社会よりも現代社会の方がはるかに優れているという信仰を押し付けられてきたが、教育やメデイアによって受けたそうした洗脳を今こそ払拭し、曇りのない目でもう一度歴史を見直すべきだろう。


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