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来訪の目的

近年日本では異星人来訪の目的に関する説が大きく様変わりした。かつては大まかに、地質調査、地球文明調査、鉱物採取、食糧調達、燃料調達、人間観察、観光、などが言われていた。その後、核戦争阻止、人類の危機への警告、人類救済、核汚染の除去などが出てきた。現在はもっと具体的で詳細な内容を持ったものが次々と出てきている。その中にはニビル星人アヌンナキの関与、プレアデス星系人の関与、ウンモ星人ユミットの関与、アルクトゥルス人の関与など様々なものがあり、これらは何冊もの本となって出版され、詳細にその内容が述べられている。

では一体真相はどうなのだろう。彼らの目的は果たして一つだけなのだろうか。また複数の異星人が同じ目的で来ているのだろうか。あるいはそれぞれ違う目的を持ってやって来ているのだろうか。あまりにたくさんのことが言われているので、まずは確実性のある事柄から述べることにしよう。

最低でも言えることは、いかなる形であれ、すなわち直接の来訪であれテレパシー的な交信であれ、彼らは地球人より優れたテクノロジーを持っているということだ。それは我々が他の知的生命がいる星へ行けないこと、我々の方から他の知的生命体へ意思を伝える手段を持たないことからも明らかだろう。しかしだからといって異星人が我々よりも文化的、精神的、または倫理的に優れているという証明にはならない。人類の歴史を見れば分かるように、現代のようなテクノロジーを持たなかった中世以前の人々が文化的、精神的、倫理的に我々より劣っていたとは言い難いのと同じだ。むしろ現代人の方がそういった点では劣っているかも知れない。このような意味で、技術的に優れているからといって精神的に優れているとは限らないので、異星人を無批判に崇拝するのはかなり危険だと言わねばならない。

次に良い異星人・悪い異星人という言い方があるが、これは人間の基準によって見た判断に過ぎないだろう。彼らが果たして善悪の基準を持っているのかどうかも解らず、たとえ持っていたとしても我々と同じ善悪の基準かどうかも解らない。したがってこうした物差しによって他の生命体を判断すれば大きな過ちを犯す可能性がある。

写真:ライオンたとえば『弱肉強食』という言葉があるが、これは人間の側から見た生物に対する見方に過ぎない。他の項でも言ったように、百獣の王ライオンが全ての草食動物を食べ尽くすまでに大繁栄する、ということは起こっていない。そんなことをしたら草食動物はいなくなり、ライオン自身が飢えて絶滅するだろう。第一動物たちに『弱肉強食』という概念などあるはずがない。これは人間の判断基準を無理やり当てはめた表現でしかない。しかもそれは明らかに誤った判断基準によっている。もともと自然は調和(バランス)を基調として成り立っており、それによって全体の生態系が形作られている。ライオンの狩りは失敗することの方が多く、捕獲できる数は限られている。ライオンに限らず、そうした肉食獣の存在が草食動物が増えすぎないよう、また減りすぎないよう抑制する働きをしている。しかしそれを二元論的に、一方は強く他方は弱い、といった短絡的なものの見方で判断してしまっては、本質は見えてこない。こうした意味で、良い異星人・悪い異星人というのもあまりに人間的、短絡的判断だろう。

さて次に言えるのは善悪によるのではなく、別の意味で二つのタイプの異星人を想定できるということだ。もし我々が現在の精神レベルのまま、他の知的生命が存在する星を訪れたとしたら、態度は二つに分かれると思う。その一つはその惑星人のために何かしようと思う場合、もう一つは何か自分の利益のために利用できないかと考える場合だ。どちらの場合も人間の性向によるもので、これが異星人に当てはまるかどうかは分からないが、しかしこれは善悪の基準とは微妙に違う、より普遍的な傾向だと思う。何故なら善悪の基準は地球人の間でも大きく喰い違うことがあるが、こちらの二つの態度に関してはどの文明、どの民族でも共通していると思われるからだ。ただもう一つの可能性も考えられないこともない。それは相手のためになる行為が、自分たちのためにもなるという場合だ。これは単なる理屈と思われるかも知れないが、可能性としてはあると思う。

さて、もし異星人が地球人のために何かしようとしているなら、どういった種類のことが考えられるだろう。まず我々が現在の世界を見て解るのは、地球環境破壊、種の大量絶滅、核の脅威、遺伝子組み換えによる影響の危惧などが現実に存在することだ。これらの状況が示唆しているのは人類の絶滅だろう。我々のために何かしようとする異星人がこのような地球の現状を見た時、何らかの形で手助けしようとするのではないか。何故なら中国古代の性善説のように、今死に瀕しようとしている子どもを目の前にして、誰も素知らぬふりで見過ごしたりはしないだろうからだ。

とは言え、きなり具体的な対策を講じようとはしないだろう。まずはこうした状況を招いた原因を探り、それから原因を取り除く方策を練るだろう。それは付け焼刃の対策では、再び地球人は危機的状況を招くだろうからだ。まず原因を調べ、もし自分たちに対策が施せると解れば、永続的な解決策を施そうとするだろう。

人類の歴史を知り得る限りの遡ってみても、戦争と殺戮という罪過を犯さなかった時代はほとんどない。ある研究者が、知りうる限りの古代から現在までを調べて、地球上で戦争がなかったのは、全部でわずか10年程度だった発表したことがある。

人類は新しい発明や発見、科学技術も、平和のために利用するよりも、まずは戦争のために使ってきた。この人間の精神性が変わらなければ、言い換えれば人間の心が変わらなければ、いかなる対策も結局は付け焼刃に終わってしまうだろう。だとしたら手を差し伸べようとする異星人は、まずは地球人の心の在り方から変えようとするのではないだろうか。

歴史上こうしたことを試みた者が何人かいた。釈迦やイエス、孔子やマホメットなどがそれに相当するだろう。しかし残念ながら現状を見れば、彼らの教えが成果を上げたとは言い難い。もし彼らが異星人だったとしても、宗教によって人間の心は本質的に変わることはなかったので、結果的に人類を救う手立てにはならなかったということだ。したがって異星人は今となっては宗教を用いようとは思わないだろう。それよりも人間の理解できる範囲内で事実を伝え、理解できない部分については『こうする方がいい』と諭すしかないだろうと思う。

こうしたことを実際に行なったと思われる異星人もいる。たとえばネイティブ・アメリカンの伝承の神・ケツアルコアトル、北欧神話の主神オーディン(様々な側面を持っているが)、マリ共和国・ドゴン族に伝わるシリウス系星から来たと言われるノンモ、日本の岡本天明に降ったひつくの神、手紙を地球人に送り続けるウンモ星人ユミットなどがそれだ。彼らのメッセージはいわゆる宗教とは異なっており、中には大変興味深いものもあり、地球や人類について考える際の貴重な参考となると思う。我々はそれらを簡単に鵜呑みにするのではなく、比較検討して慎重に学べば、多くの示唆を得ることが出来るだろうと思う。

さてもう一つの、異星人が自分たちのために地球人を利用できないかと考える場合だが、これらはいくつもの古い記録に記されている。たとえば聖書に出てくるエロヒム(彼らと人間の娘との間に生まれたのがネフィリム=巨人族だという)、シュメールの粘土板に記されたアヌンナキ(=ニビル星人、彼らは地球の類人猿と自分たちの遺伝子を混ぜ合わせて人間を造ったという)、ヒンドゥー教の聖典『マハーバーラタ』に出てくるインドラの雷(インドラのいかずち=核兵器だという解釈がある)を使用した王族などだ。これらの記録は異星人が古代の人類に君臨し、異星人同士の間で熾烈な覇権争いをしていたことを表現している。多くの神話に出てくる神々の戦いは、この覇権争いを描いた可能性が高い。

この種の異星人が何を人間から得ようとしたのかは諸説がある。たとえば彼らは人間の血を栄養源とするという説。これには血そのものを栄養源にするという解釈と、血が持つ霊的な波動を栄養源とするという解釈がある。また人間の感情を栄養源とするという説もある。これは人間は食物を栄養として摂取するが、一段次元の高い異星人たちは人間の感情を栄養として摂取するという解釈だ。したがって陽(ポジティブ)の感情を好む者たちは愛を説き、陰(ネガティブ)の感情を好む者たちは争いや戦争を誘導するのだという。すなわちそれらの感情を増幅することによって彼らは人間からエネルギーを得るというのだ。これらは俄かに信じがたい話だが、今までになかった発想として注目に値すると思う。


所長の見解

神話は長い間、誰が何のために作り、また何故それが時代を越えて伝えられてきたかが謎だった。かつて様々な分野の学者たちがその謎解きに挑み、答えを得ようとした。その中には神話学、宗教学、文化人類学、文学、民俗学などの学者たちがいた。しかしついに誰一人、万人を納得させる解釈には至らなかった。学者たちが唱えた説の主なものには二つある。一つは『昔話→伝説→神話』という変化をたどって長い歴史の中で神話化していったという説。もう一つは深層理学的な解釈で、人間の無意識の層に横たわる原初の感覚または原初の感情が、象徴的に物語の形をとって表れたという説だ。

私の考えを言えばこれらのどちらも正しくない。何故なら神話は徐々に形成されたものではなく、最初から完成された形をもって現れ、徐々に人間の考えが加わって変化していったと思われるからであり、また無意識の層にある感情や感覚が、人間自身にとって全く予想外の物語を作り出すとは考えにくいからだ。したがって私の答は一つしかない。神話はそのような複雑な過程を経て生まれたわけではなく、単に事実だったということだ。

神話に出てくる神々はもちろん全宇宙を造った神などではない。高度なテクノロジーを持った異星人が、それを持たない地球の住民の前に現れた時、地球人には彼らが神に見えたということに過ぎない。今でさえUFOを目撃したり、UFOから出てきた異星人と会ったと言う人たちは、彼らを神のごとく崇めたりしている。こうした反応は古代の人々と現代の我々がほとんど変わらないことを示している。人間はいつの時代も、自分たちの想像を超えたものを神や悪魔に仕立ててきた。

私に言わせれば、ギリシャ・ローマ神話に出てくる神々などはあまりに俗っぽくて、とても人間を超越した崇高な精神を持った神とは思えない。これは聖書に出てくる天使やエホバについても言える。彼らは嫉妬し、憎み、恨み、怒り、人間の娘たちを手込めにし、子を孕ませ、さらには自分たちの言うことを聞かなければ町ごと壊滅させるといったことも平気でしている。( 具体的に言えば、エホバが旧約聖書の中で『私は嫉妬の神である』と宣言していること、またソドムとゴモラの町を一瞬にして滅ぼしていることなど)

神話学者が言うように、確かに神話の中に善悪の基準はない。いや神話を読めばそもそも宇宙には初めから善悪など存在していなかったように思える。いつからかは分からないが、それが歴史の中で善悪の基準を得るようになるのは、教訓なり教えなりが宗教の形をとった時点だと思う。神話がどのように宗教としての性格を帯びていったかは分からないが、少なくとも言えるのは、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、それが『教え』の形をとったとき善悪の基準が持ち込まれたということだろう。

こうした言い方は意外に思われるかもしれないが、しかしよく観察してほしい。テレビ番組の『水戸黄門』や『大岡越前』に限らず、他の殆んどのドラマや映画は様々な形で善悪を描いている。そししてそのほとんどが善が勝ち、悪が負ける結末になっている。ここには重要なからくりがある。このような勧善懲悪をテーマにした作品は、往々にして我々に悪を憎む心を植え付けている。実はこの悪を憎む心こそが悪なのだ。我々は本やテレビドラマや映画を見て悪を憎み、善が悪に打ち勝つクライマックスに快感さえ覚える。そのようにして我々は自(みずか)ら進んで悪に染まっていっている。この悪を憎む心がなくならない限り、人類に平和など来るはずはない。

ニュースで犯罪が報じられると多くの人は犯罪者を憎む。ニュース・キャスターも善人面して、犯人を憎むコメントをする。こうして多くの人が悪人を憎む悪人となってしまっている。犯罪が起こる背景には彼らが孤独であること(すなわち理解者がいないこと)、誰からも顧みられず自分の存在の重みを感じられないこと、また犯罪を促すメディアが存在すること、物事を善悪で判断する二元論的な考えが支配的な社会の中にいること、学校で生徒に善悪を刷り込み悪を疎外する教育を施していることなどがあり、今ではさらに悪的なことが『かっこいい』といった風潮もその背景の一つになっている。

すなわち犯罪の発生は、こうした歪んだ社会状況に原因がある。しかもその社会状況を作り出しているのは我々であり、言い換えればこの社会を構成している全ての人に責任がある。我々は悪が生まれる素地を何世代もかけて作ってきたと言えるだろう。にもかかわらず我々は悪を一般社会から疎外し、悪事を犯す犯罪者を憎み、そして自分は悪人ではないと自分自身に言い聞かせることによってその責任から逃れようとしている。

先程も言ったように神話は『教え』ではなく、単なる事実の伝承だと思われる。したがって善悪の基準などどこにもない。ではその後に、誰が何のために宗教をこの地上に作り上げ、善悪をはびこらせたのだろう。それは異星人が人類をうまく操るために考え出したものと考えれば納得がいく。彼らが宗教を地上に蔓延させたのは、実は我々の憎しみや悲しみ、嫉妬や怒りといった感情を増幅させるのが目的だったのかもしれない。それは先にも言ったように、これらの感情が彼らの栄養源となると思われるからだ。

イメージ我々を利用しようと思った異星人はこの三次元よりも少し波動の高い世界にいるので、彼らは肉体ではなく霊体を持っている。そのため栄養源は物質としての食物ではなく、彼らより波動の低い世界にいる人間の想念エネルギー、すなわち感情を栄養源にしているらしい。『ひふみ神示』や『プレアデス+かく語りき』などのメッセージの中でもこのことが言及されている。こうした書物の中には、感情が物質を遥かに凌駕するエネルギーを持っていることが説かれている。この感情は論理などという無機的なものとは違い、状況を一変させ、いかなる物をも招来させる力を持っているという。だとすれば我々が感情を正当に評価し、きちんと使うことができれば、膨大な精神的および物質的富、そして自らの霊的次元の上昇も得ることができるのだと思う。

長い歴史を通して感情がその価値を貶(おとし)められ、論理と理性が評価されてきたのは、異星人が我々から感情についての知識を奪う意図のもとになされてきたことだと思う。人類を蔭から操り支配してきたこれらの異星人は、人間を利用するために我々を憎悪と争いの中に置き、真実に対しては盲目であるよう策を施してきたのだと思う。

我々は戦争やスポーツや仕事の中で勝ち負けを争う悪夢から覚めなければならない。何千年、あるいは何万年もの間、催眠状態の中で無意味に戦ってきた我々の歴史に疑問を抱き、それに終止符を打つ道を探らねばならない。なぜなら弱肉強食の考えや悪を憎む心、戦争に怒りをぶつける反戦運動や企業間の潰し合い、これら全ては我々の暗い感情の波動を栄養源とする異星人たちの、大いなる策謀の表れであると思われるからだ。

我々に手を差し伸べようとする異星人は、我々がこの盲目の旅に終わりを告げ、深い眠りから覚めるよう様々な形で警告を発している。それはまた何千年も前に目覚めた数少ない人たちが発してきた警告とも同じだ。そうした警告が我々のこの時代に、史上かつてなかったような形で一般の人たちにも伝えられている。その理由は何千年も前から伝えられてきた地球的規模の大転換期が、いま目前に迫っているからだろう。我々はそれらの警告に耳を傾け、ただ鵜呑みにするのではなく、慎重に取捨選択し、彼らの意を汲んで新しい時代に向けた心の準備をしなければならないだろう。

<異星人の項 終わり>


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