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意識と無意識の力学

一般に無意識の世界を発見したのはフロイトだと言われている。では何故発見したのが西洋人で、東洋人ではなかったのだろう。それは東洋人は欧米人のように意識的な生き方をしていなかったためだと思われる。東洋人は意識と無意識の境界が欧米人ほどはっきりしていないため、意識や無意識を分けて見つめることがなかったのだと思う。これに対して欧米人は意識できる範囲が全てという感じがあり、これに疑問を抱いたのがフロイトだったと思われる。

このことは東西のブロンズ像や彫刻に顕著に表れている。ミロのヴィーナス像やロンダンの考える人、またギリシャ神話のラオコーン像などに見られるように、欧米の女の像は非常に女性的に、男の像は非常に男性的に表現されている。これに対して日本のものは、仏像や観音像に見られるように非常に中性的だ。日本人は男または女としての意識が欧米人に較べ遙かに弱く、欧米人から見ればこれは曖昧に感じられるのだと思う。逆に日本人から欧米人見ると、男らしさ女らしさという点でははっきりしていて、これが我々には魅力的に見えることがあるのだと思う。

しかし必ずしも意識的なのがいいわけでもない。例えば自分が男だからといって、男性的にならなければならないと意識し続けると、無意識の中に女性的な部分が凝り固まる。そしてその状態がさらに進むと、やがて無意識の中で増大した女性的要素が、意識に逆襲を企てるという現象を起こす。スポーツマンでいかにも男らしい男が、付き合ってみると優柔不断で非常に女々しいということもしばしばある。また、物腰柔らかで控えめな女が、付き合ってみると頑固でものごとをはっきり言い、男勝りに決断力があるということもしばしばある。

これらは一つのことが意識され過ぎると、無意識の中に反対の心的エネルギーが溜まるからで、この状態が進むと精神に支障を来すこともある。何故なら意識に現れる無意識の逆襲は、見方を変えれば無意識からの警告だからだ。したがってそれを無視し続けると、さらに身体に変調を来すという結果を招く。

イメージひとつの典型的な例を紹介しよう。これは河合隼雄氏が『ユング心理学入門』の中で扱っている事例だが、ある二人の日本人留学生がアメリカで同じ学校に通うことになった。一方はすぐにアメリカ人の友達ができ、パーティーに行ったり一緒にキャンプに行ったりと、すっかりアメリカ文化に馴染んでいる様子だった。もう一方はアメリカ文化になかなか馴染めず、どうしたらアメリカ文化をうまく消化できるのかと悩んでいた。彼はもう一方の友人がうらやましくて仕方がなかった。

ところが数カ月が過ぎると、アメリカ文化に馴染んでいる友人から慢性的な下痢に悩んでいると聞かされる。それで医者に診てもらうように勧めると、友人は下痢が神経性のものであると医者に告げられる。

もうお分かりと思うが、彼は意識上では無理にアメリカ文化に馴染もうとし、無意識の中にある本来の自分を軽んじたために、無意識からの逆襲を受けたのだ。もう一人のように十分に悩み、自分を裏切らない形で時間をかけてアメリカ文化を消化しようとすれば、こうしたことは起らなかったと思われる。

このように意識と無意識は相補的な関係にあり、我々はその調和を保つことが強いられている。人間は外的自分と内的自分を持っている。男性の場合、外的自分とは男であること、父であること、会社の課長であること、日本人であることなどなどだが(これらはペルソナと呼ばれる)、一方内部にはユングの言う元型とも言うべき本来の、偽らざる、自然体の自分が潜んでいる(ユングはこれをアニマと呼んでいる)。我々は外的な自分(ペルソナ)に対してだけでなく、内的な自分(アニマ)に対しても気を配り、適切な態度を取らなければならないよう強いられている、とユングは説いている。


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