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元型

ユングはフロイトの言った無意識のさらに奥に、より普遍的な心の層があると指摘した。彼はそれを集合無意識(別訳では普遍的無意識)と名付けた。集合無意識は個人的な無意識よりさらに深い所にあり、その層には人類に共通するイメージが眠っているという。彼はそれを元型と名付けた。元型にはいくつかタイプがある。

ユングによると元型自体は意識することはできないが、様々な状況証拠から推測することができるという。それは『死後の世界』の項で話したように、実際に前世を見ることはできなくても、様々な現世の状況証拠から推測することができるのと似ている。元型は人類共通の原初的な心象であり、さらには人類を超えて生物全般の心象である可能性もある。そして我々はこれを抹殺することも、これと無関係であることもできない。それほど原型は、例えば物質がその特徴を表す分子から成っているように、生きとし生けるものの心の基本要素となっているという。

元型にはいくつかタイプがあるが、学者によっては元型に含めるものと含めないものがあり、多少議論は分かれている。しかし代表的なものにつてはどの学者も一致していて、大部分は認められている。ではそれらについて以下に説明していこう。

元型の代表的なものには影、自己(self)、アニマとアニムス、太母および老賢者がある。この他にもいくつかあるが(例えば英雄やトリックスターなど)、ここでは全てを扱えないので今まで触れなかったものについていくつか説明することにする。

イメージ太母は神話に出てくる愛の女神、伝承に出てくる生命を育む大地の神、文学でいう永遠なる女性、夢に現れる全てを抱擁する母などのイメージとして現れる。これらは太母という元型から溢れ出てたもので、様々な形態をとって我々の意識に働きかけてくる。

神話によく出てくる母殺しは、自己の揺籃の地である太母からの独立を象徴しているのであって、太母そのものは殺すことも抹殺することもできない。現実には母親からの自立を意味し、男は(あるいは女の場合も)母から自立して別の母なるものと結ばれる(女の場合は母なるものとなる)ことによって太母を回復するといわれる。このからくりをうまく表わしているのはギリシア神話のオイデイプス伝説だろう。

オイデイプスの父は息子が自分を殺し、自分の妻である母と結婚するという神託を受ける。彼は息子を恐れて部下にオイデイプスを山奥に置き去りにし、死なせるよう命じる。しかし部下はオイデイプスを死なすのに忍びなく、出会った羊飼いに渡してしまう。やがてオイデイプスは隣国の、子供に恵まれない王家に渡され王子として育てられることになる。成人したオイデイプスはある時、自国から出た三叉路で従者を連れた男と道をめぐっての争いとなり、その男を殺してしまう。そしてその後、彼は隣国を攻めてその国の妃を娶る。後に彼は自分が殺した男が実の自分の父親であり、結婚したのが実の自分の母親であることを知る。罪悪感に苛まれたオイデイプスは自らの目を針で突いて盲(めしい)となる。

この伝説は人の逃れられない運命をテーマとしたわけわけではない。表面上はオイデイプスとその父が運命に翻弄されるという表形式をとっているが、実は太母から自立しようとしながら遂にその太母のもとに戻ってしまうという、人間の内に秘められた元型の力を表現していると解釈できる。

オイデイプスが母ではなく普通の女と結ばれなかったのは、アニマに従わず、アニマの力を借りなかったためだと考えられる。多くの男は自分の中のアニマを相手に投影し、その女と結ばれる。そしてそこに普遍的な太母を再び見出す。しかしアニマの力を借りることができず、太母の懐にぬくぬくと居座ろうとすれば、現代の親離れしない、子供のまま身体だけ大人になった人たちのようになってしまうことだろう。これが昂じた場合、稀にではあるがさらに危うい関係を作り出すことがある。母と息子の近親相姦への転落だ。(女の場合は一卵性母娘のような関係を作ることがある。)

さて次に老賢者について説明しよう。これは太母と対をなす概念だ。太母をグレートマザー(Great Mother)と表現するならば、老賢者はグレートファーザー(Great Father)となるだろう。神話に出てくる英雄、伝承に現れる賢者、宗教的な導師などといったものは全て老賢者の表現形と考えられる。これは物語に欠かせない要素でもあり、黒澤明監督の「赤ひげ」の主人公、「スターウオ―ズ」のヨーダ、ドストエフスキーの「罪と罰」の敏腕刑事、「ハリー・ポッター」のダンブルドアなど、大作と呼ばれるものには必ず老賢者に相当する人物が出て来る。それはこうした登場人物が我々の無意識の層の元型に訴えかけることにより、作品を知的で崇高なものにするからだろう。

また別の視点から見ると、子供にとって父は老賢者ということになる。ここでもう一度オイデイプスの話に戻るが、彼が父を殺すのは、男の子が大人になるための通過儀礼として必要な行為だということを意味している。男の子にとって父は自分の前に立ちはだかる巨大な壁であり、これを乗り越えなければ一人前の男の仲間入りはできない。したがって男は思春期のどこかの時点で、この巨大な壁の破壊に取りかからねばならない。その心象風景が父の殺害という形で意識の表層に現れたのがオイデイプスの伝説であると解釈できる。すなわちオイデイプスの悲劇は、男の子が大人の男になるために課せられた宿命的な役回りであり、家庭という舞台で、男は課せられたその役を演じ切ることを義務付けられている。

もしここで父が息子との戦いに参戦せず、和平協定を申し出て互いの役を演じ切らないとすれば、この場合もやはり、幼稚なままの大きな子供を父は終生抱え込むことになる。

さて最後にトリックスターについて説明しよう。この元型の特徴は一言でいえば「やんちゃ坊主」あるいは「いたずら小僧」と表現できるだろう。これは神話、民話、小説など様々な物語に登場する。例えば西遊記の孫悟空、日本神話の素戔鳴尊(すさのおのみこと)、ギリシア神話のプロメテウス、旧約聖書のヤコブ、水木しげるの漫画のねずみ男などだ。Trickster 自体は手品師・ぺてん師・詐欺師などの意味を持つ英語だが、ユングはこの言葉にさらに別の意味を加えて元型の名に用いた。

したがってユングのトリックスターには両面性がある。プロメテウスは神界から火を盗んで人間に与えた神として有名だが、確かに彼は人間にとってはよい神かも知れないが、神界においては掟を破ったならず者とも言える。ねずみ男も一見賢いような行動にでるが、結局は我欲に溺れてドジを踏む。北欧神話のロキもいろいろ厄介事を持ち込むが、雷神トールとの旅ではしばしばその悪知恵で窮地を脱したりしている。

ではいったいトリックスターの正体はどっちなのかと問いたくなるところだが、そこがこの役柄の面白いところでもある。日本の狂言の太郎冠者・次郎冠者のように、いたずら好きで茶目っ気があったり、西欧の民間伝承のゴブリンのように醜い小人として描かれることもあるが(ハリー・ポッターにも地下銀行の職員として出てくる)、どこか憎めないのがこのトリックスターの特徴と言えるだろう。

イメージこの元型の本質はどこにあるのかと読者は疑問に思うかも知れないが、私の考えでは、世の中の物事が何もかも四角四面では面白くも可笑しくもないのは想像に難くないので、いたずら・茶目っ気・小利口などといったものが、我々の生活にめりはりを付けてくれているのではないかと考えられる。これまで話してきた意識と無意識の関係を考えれば、誰も一方的に善人ではないし、一方的に悪人でもない。この両面性をユングはトリックスターという元型にその由来を求めたのではないだろうか。

さてこれらの元型は我々の抗(あらが)えない心の基本要素だという。それは言い方を換えれば、我々の心の基礎はこれらの元型によって構成されているということだろう。では何故そうしたものが心の奥に仕舞われているのだろう。私の考えを言えば、宇宙の意思が(神の意思と言っても構わないが)、人に心を与える時にその大枠の構造として設(しつら)えたものではないかと思う。それは言わば『神の刻印』と呼ぶのに相応しいものではないだろうか。


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