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アトランテイス大陸

最後にアトランテイス文明について話をしよう。

最初に言ったように、アトランテイスとは古代ギリシアの哲学者プラトン(紀元前427年~347年頃)が『テイマイオス』と『クリテイアス』の中で述べている大陸と、そこに栄えた王国のことだ。その中にアトランテイスは強大な軍事力を誇り、世界を制覇しようとしたが、ゼウスの逆鱗(げきりん)に触れて海の中に没したと記されている。

この二つの書物からは、エジプトはギリシアよりもはるかに多くの知識を持っていた様子が窺える。たとえば『テイマイオス』では、アテナイの政治家ソロンがエジプトの神殿に招かれた際、彼がデウカリオンの洪水伝説で始まる人類の歴史についての知識を披露したところ、エジプト神官の一人に「おおソロンよ、ソロン。ヘレネス(ギリシア人)は常に子供だ。ヘレン(ギリシア)には老賢者がいない」と言われたという。そして神官はギリシアの古い歴史について話して聞かせた。

エジプトの神官が言うには、ギリシアでは何度かある程度高度な文明が発達したが、そのたびに水害によって知識を持つ支配層が失われ、それとともに貴重な記録も失われてしまったという。そしてアテネの神官たちが国家体制を築いて8000年(当時から見て)しか経っていないが、アテネの町自体は9000年前(当時から見て。今の言い方をすると紀元前9560年)から存在しており、法の下での階層社会を形成していたという。またヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)の外洋にアトランテイスという巨大な島があって強大な軍事力を誇り、地中海世界まで進出して支配したが、ギリシアの都市国家連合軍がこれを撃退したと告げた。

アテネの賢者ソロンでさえ、エジプトの神官に窘(たしな)められ、知恵を授かっている様子が『テイマイオス』の中で語られている。だとすればエジプトにはどれだけの知識が蓄えられていたのだろう。ひょっとしたらエドガー・ケーシーのリーディングに出てくる、アトランテイスから逃れてきた人々の中の神官たちとは、このときソロンが会った神官(あるいはその後継者)だったのかもしれない。

『テイマイオス』ではエジプトの神官が次のように続けている。「その後異常な地震と大洪水が起こり、あなた方(ギリシア勢)の戦士全員が大地に呑み込まれ、同時にアトランテイス島も海に呑み込まれて消えてしまった。そのためその場所は浅い泥の海となり、今なお航海も探索もできなくなっている」と。

一方『クリテイアス』にはさらに詳しい話が出てくる。これもエジプトの神官から聞いた話として語られていて、初めはギリシアが繁栄していたことを伝えている。具体的には9000年以上前(当時から見て)、アテナイの市民は私有財産を持たず、多くの階層に分かれてそれぞれの本分を果たしていた。当時アテナイの地は肥沃で、二万人の軍隊を養うことができるほどの豊穣に恵まれていた。しかしデウカリオンの洪水より三つ前の大洪水で森が失われ、泉が涸れて、荒涼とした大地となってしまった。また洪水のたびに山岳に住む無学な者ばかりが生き残ったため、ほとんどの貴重な知識が失われた。したがって今や、当時の支配者の名前ぐらいしか伝わっていない。

アトランテイス大陸このように述べた後、アトランテイスについての話になる。アトランテイス島の南岸から奥へ約9km入った所に小高い山があり、そこで最初のアトランテイス人エウエノルと妻レウキッペが大地から生まれた(聖書や日本神話の記述と類似している)。この二人の間にクレイトという娘が生まれた。クレイトは海神ポセイドンと結婚し、5組の双子の子供、計10人を産んだ。ポセイドンは子供たちのためにアトランテイスを十の地域に分け、それぞれに与えて十の王家とした。そしてその王家は何世代も続き、王権は維持された。またポセイドンはクレイトを一般の人間から隔離するため、小高い丘にアクロポリスとしての神殿を建て、その周りに三重の堀を造った。そこはやがてアクロポリスを中心とするアトランテイスの都、メトロポリスとなった。

ここでアクロポリスについて詳しく説明しよう。中央の丘に王宮があり、その周りを三重の堀が取り囲んでいた。そしてその堀は運河と結ばれて外洋に通じていた。丘のある中央の島は直径約900mあった。またその周りの堀は、実際は海と繋がっているので海水の環状水路となっていた。一番内側の堀は幅が約180mあり(第一の堀)、次に取り囲むのが幅約370mの環状の島、さらに370mの堀が取り囲み(第二の堀)、その外に幅約550mの環状の島、その外側に幅約550mの第三の堀がある。この第三の堀と外海は運河で結ばれていた。この運河は幅が約90m、深さ30m、長さが9kmあった。また三つの環状水路には幅約30mの橋が架けられ、その下を船が行き来できるようになっていた。

中央島に話を戻すと、島の真ん中に王宮があり、王宮の中央にはクレイトとポセイドンを祀る神殿があって黄金の柵で囲まれていた。またこれとは別にポセイドンに捧げられた異国風の神殿があり、金・銀・象牙・オリハルコンで飾られていた。この神殿の中央には六頭の天馬に引かせた戦車に跨るポセイドンの黄金像が安置されていた。また神殿の傍らにはオリハルコンの柱が立っており、そこには十人の王の互いの関係を定めたポセイドンの戒律が刻まれていた。この神殿には5、6年に一度十人の王が集まり、オリハルコンの柱の前で祭事を執り行なった。

この他、アクロポリスにはポセイドンが涌かせた冷泉と温泉があったこと、この水を利用した果樹園があったこと、屋内浴場や屋外プールがあったことなどが語られている。また環状島には庭園や運動場、神殿や戦車競技場などがあり、王族や神官や軍人などが暮らしていたことなども述べられている。もうひとつ、都の周りは半径約9kmの環状の城壁が取り囲み、南の海岸線に接する巨大な内接円を形作っていたことが述べられている。

では首都メトロポリスの外側はどうなっていたのだろうか。述べられている内容によると、都の周りには海側に接する幅約550km、奥行き約370kmの大平原が広がっており、そこでは必要な産物の全てが生産されていた。穀物、野菜、果実、ハーブ、材木、また家畜の餌となる草木などが収穫された。またオリハルコンその他の地下資源も豊富に産出した。

またアトランテイス島の全体像を述べると、海岸線に沿って山々が平原を囲むように連なり、その山地の村々では住民が放牧をして暮らしていた。一方平原は約3.4km2を単位とする6万の区域に分割され、平原の周りを総延長1850kmの運河が取り囲み、さらに平原の中は約18km間隔で小運河が張り巡らされていた。大運河の幅は約180m、小運河の幅は約30mだった。そして小運河からは碁盤の目状に細かな水路が引かれていた。

この他に『クリテイアス』には軍事に関することも述べられている。戦車、戦車用の馬、騎手、戦車用ではない馬とそれに乗る兵士、重装備の歩兵、弓足軽、投石兵、軽装歩兵、投槍兵などの数が事細かに述べられている。これらは全て何万単位、何十万単位だ。また水軍については、1200艘の軍船と24万の水兵が召集可能なことが述べられている。

以上、ざっと『クリテイアス』に書かれているアトランテイスの様子を説明したが、実はこの『クリテイアス』は未完で終わっている。最後の場面は、アトランテイスの王家の者たちが一般の住民との交配を繰り返し、その結果神性が薄まって堕落してしまったのを怒り、ゼウスが天罰を下そうと神々たちを招集する、まさにその場面だ。

最後の一文をここに示そう。

「(ゼウスは)総ての神々を自分たちが尊敬する住まい、即ち全宇宙の中心に位置し生成に関わる総てのものを見下ろす所(オリュンポス山)に召集し、集まるとこう仰(おっしゃ)った」

しかしその後にゼウスが何を言ったかは書かれていない。後のプルタルコス(紀元46年頃-119年)は、プラトンの著作のうち『クリテイアス』だけが彼の死によって未完に終わりとても残念だ、と感想を述べている。


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