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総論

さてこれまでムー、レムリア、アトランテイスの三つの超古代文明について述べてきた。

ムー大陸(及びムー文明)は学問的・客観的に考えてチャーチワードのでっち上げと言わざるを得ない。しかしオカルテイストのレッテルを張られてはいるが、ブラヴァッキー(とシュタイナー)はレムリアはインド洋ではなく太平洋にあったと言っているので、それがいわゆるムー大陸だと言えないこともない。ただ一般にオカルト的な書物は理由を述べることなくこうだと断言する傾向があるので、それを読んだ素直な読者は『そうなのか』と単純に信じてしまう場合が多い。また断言的な内容の書物が出版されると、それを引用して話を展開する次の書物が書かれ、さらにその二冊の書物を基に次の書物が書かれるということを繰り返すうちに、話は世間に蔓延して、『火のない所に煙は立たない』といった考えのもとに架空の物語が実体化してしまうことがある。

一般の人は学者ではないので、本当のところは調べようがない。そんな暇もなければ専門的な知識もないからだ。しかし調べようがないなら、謙虚に疑ってかかるべきではないだろうか。誰かが断言したことを鵜呑みにするだけでは、自分の考えはどこにもないことになるし、洗脳されていると言われても仕方ないだろう。ただ、だからといって何もかもオカルト的なものは鼻つまみものと拒絶してしまうのも考えものだ。良く考えもしないで拒絶するのは、単純に信じてしまうのと大差はないからだ。実際に行なうのは難しいだろうが、洗脳や自家撞着から離れ、常に客観的であろうとするならば、どちらにも偏らない姿勢を常に保つ必要があると思う。

レムリアについてはプレートテクトニクス理論の欠陥もあり、完全には否定できない。これは実はプレートテクトニクス理論以前の問題で、地球がどのようにしてできたかが未だによく解っていないことに問題があると思う。というのも、地殻とその上に乗る大陸がどのように形成されたかについては今以てきちんと説明されていないし、単に海洋底に大陸の沈んだ痕跡がないからといって、それが大陸が存在しなかったことの証明にはならないからだ。

このことはアトランテイスについても言える。先にも言ったように、大西洋の海底には海嶺といって、地殻(この場合は海洋底)を生み出す火山性の山脈が存在する。大西洋を南北に縦断するこの海嶺が生み出した地殻は東西両方向に成長し移動してゆくと言われている。これによって地殻の上に乗った大陸がどんどん離れていき、その間に大西洋ができたというわけだ。したがって南北アメリカ大陸の東の海岸線と、ヨーロッパ・アフリカの西の海岸線の形が、切り込みを入れて離したように同じ形をしていることになり、合わせるとほぼ整合するという。

しかしすでに述べたように、このプレートテクトニクス理論にもいくつか欠陥があるので全面的に信用はできない。さら言えば、もし古い大陸が海洋底の地殻を破ってマントルの中に沈んでしまったとすれば、その後に生きている我々には何の痕跡も認めることができないのは当然だろう。

総論私自身はアトランテイス大陸の存在についてはかなりの信憑性があると思っている。現代のような情報社会では噂が噂を呼び、話がどんどん大きくなって、ありもしない話が実体化するということが起こり得る。しかし古代の状況においては、すなわち新聞・テレビ・ラジオ・雑誌・電話・FAXなど一切の通信手段がなかった古代の状況においては、情報を得るというのは大変貴重なことであり、確実な情報を得るためには自分も確実に伝えなければならないという、義務的な感覚が働いていたと考えられる。特に語部(かたりべ)は社会的信用を得た情報の保持者であり、また専門的な知識はそれなりの階級の人々によって保存され、文書や口承として伝えられただろうから、これらは現代の都市伝説や、もしかしたら歴史の教科書に載っている情報より正しいこともあり得るのではないかと思う。

プラトンがアトランテイスについて詳しい情報を得ていたのは、エジプトのそうした特別な人たちによって保持されていた知識を、ソロンがたまたま伝授の機会を得て、それをギリシアへ持ち帰ってプラトンに伝えたことによるだろう。こうしたことを考えれば、古代の貴重な(あるいは秘儀的な)知識はエジプトが発生源である可能性が非常に高い。

では何故そうした知識が太古のエジプトに保存されていたのか。ひとつには古代エジプト人がナイルの氾濫を喰い止めようとはせず、氾濫と共に生きていたことが挙げられると思う。多くの文明では支配者は水を治めることが権力を維持する条件でもあった。しかし古代エジプトでは人々はナイルをその氾濫にまかせ、氾濫とともに生きる道を選んだ。そこには高度な判断があったと思われる。それはナイルの氾濫が上流から肥沃な土を運んで来てくれるということもあったが、それよりも人間が自然に手を加えることがいかに深刻な問題を引き起こすかを知っていたからではないだろうか。これについては自然に手を加え過ぎた結果の今日の世界を見れば、余計な説明は不要だろう。

他の文明が治水を行なうことによって逆に洪水に脆(もろ)い社会構造を作り出すことになったが、古代エジプトではナイルの氾濫と共に生きることによって洪水に強い社会構造を作ったと言えるかもしれない。それが文明の断絶を喰い止め、知恵の保持を可能にしたのではないだろうか。言い方を変えれば、彼らの智恵が氾濫と共に生きる道を選ばせ、そのことによって歴史が寸断されずに済んだために、さらに高度な認識と知恵を保存することができたのではないだろうか。

ところで、そもそもどうして古代エジプトに高度な知識が存在したのだろうか。これについては何人もの人がいくつもの説を唱えている。その中で私が興味深いと思ったのはエドガー・ケーシーのリーデイングだ。彼のリーデイングによれば、アトランテイス大陸が沈没する前に、すでにそのことを知っていた人々が世界各地に逃れて行き、その中の一群がエジプトに辿りついたという。しかし現地の人々との間に軋轢が生まれ、抗争にまで発展した。その時アトランテイスからやって来て囚われの身となっていた一人の司祭が解放され、彼の尽力によって抗争が収められ、共存が実現したという。そのような異民族同士の共存は、それまでの人類の長い歴史においても稀に見ることだったという。エジプトに花開いた高度な文明は、そうしたトランテイス人の移住と共存がもたらしたものらしい。

他の項でも言ったが、ケーシーの行なったリーデイングとは、医者に見放された患者について質問されたことに応える形で、彼が催眠状態の中で喋ったことを記録にしたものだ。そこには彼が知るはずのない専門的な用語、例えば一般に知られていない薬草の名前や医者しか使わない医学用語、彼が学んだことのない外国語などがちりばめられていた。そして覚醒した時は、彼は自分が何を話したか全く憶えていなかった。彼のリーデイングは1万4000件におよび、現在アメリカのA.R.E(Association for Research and Enlightenment)に検索・利用が可能な形で保管されている。

最初のうち彼は医者に見放された患者に東洋医学的な療法を指示しただけだったが、やがてその病気の原因を尋ねられるうち、何と患者が前世や前々世などで行なったことが、現在の病がもたらされる原因になっていると告げたのだった。これに驚いた周りの人たちは、何人もの患者の前世について尋ねてみた。すると幾人もの患者の過去世にアトランテイスという言葉が出てきたのだった。例えば次のような形で。

『ベリアルの子らと神の掟の子らとの間で紛争が起きた時代のアトランテイスで、その実体は・・・・』

『アトランテイス第二の破滅期に、その実体は他国に逃れる人々の助言者で・・・・』

このような形でケーシーは多くのアトランテイスに関する具体的なリーデイングを行なった。しかもアトランテイスが破滅する前に人々が逃れた地名も挙げていて、その中にエジプトも含まれていた。

このアトランテイス人の移住によってエジプトに高度な知識や情報がもたらされ、保存されたのだろう。だとすればプラトンの記述にあるように、ギリシアの賢人ソロンがエジプトの神官からアトランテイスの詳細な様子を聞かされたとしても、決して不思議ではないことになる。


所長の見解

現在の学校の教科書には古代文明が自然発生的に起こったかのように書かれている。なぜそのような書き方をしているのか。それはどのような過程を経て古代文明が出来上がったかをはっきり言えない事情があるからだ。現代の考古学の成果が示しているのは、ほぼ全ての古代文明が完成された形で出現しているということだ。にもかかわらず教科書はそのことについて一切説明していない。私はケーシーが言うような超古代文明を想定しなければ、古代文明が高度な知識をもっていきなり現れてくる理由を説明できないと思う。したがって超古代文明の存在を認めないとしたなら、代わりに神や異星人の直接の関与を想定しなければならなくなると思う。

教科書の記述は色々な意味でおかしいと言わざるを得ない。超古代文明と関連する進化論は『人類の一直線の進化』という単純な物語として語られている。それは人類は野蛮な状態から順次進化して今に至っているというものだ。いったい古代人が野蛮だったと、どうして判断できるのだろう。それを裏付ける証拠などどこにもないばかりか、かえって現代人の方が野蛮だという証拠の方が多々ある。

こうした言い回しには抵抗を感じる人もいるだろうが、古代人の研究が進むにつれ、彼らの知能の高さいや倫理的な優越性が明らかにされつつある。おそらく現代人が最も優れているという判断は、われわれ現代人が抱えている驕りからきてるのだろう。

また歴史の真実が封印されているのには、背後に公にできない大きな理由があるからだと考えられる。超古代文明について一切触れようとしない学界や知識人の態度を見れば、何者かの意図がその封印のために働いてると思わざるを得ない。

世界の先進国の政府内部には『とても賢い方々』あるいは『とてもずる賢い方々』がたくさんいるはずなのに、人類の由来について何も語られないのは変ではないだろうか。彼らが全員、権謀術数のみに明け暮れているわけではないだろう。超大国の中枢には我々の想像を絶する量の情報が集まっているはずだ。とすれば当然超古代文明に関するものも多々あるはずだ。なのに一切そうした情報が漏れてこないのは、政府中枢の人々がそれらを取捨選択し、公表すべきものと、すべきでないものを分けているからに違いない。ではその判断基準とはどんなものだろう。

まず考えられるのは、国民(この場合は世界中の人民を指す)を混乱に陥れるような情報は公開してはならないというものだろう。現状をそのまま受け入れ、それに満足し、あるいはそれに耐えられる状態に国民を置いておくことが政権には何より必要なはずだからだ。したがって大多数の人々が政府の言うことを信じ、学生は教科書に書かれたことを素直に信じることが優先される。そうすれば政府は支配を長期間維持できるからだ。このような背景があるとすれば、そこでは真実など問題ではなくなり、情報は作られたものだけが報道されることになる。

公の場では大多数の人が納得する説明が重要であり、真実はもしそれが混乱を招くおそれがあれば抹殺されなければならない。したがって真実を語ろうとする人々は常に偽善者・詐欺師・裏切り者・妄想家のレッテルが貼られることになる。そうした策謀を行なう組織も当然あるだろう。学界にしても、個々の学者たちがとんでもないことを言い出せないような組織形態を固めていて、もし言い出せばその学者は葬り去られることになる。

このように古代の闇の部分と超古代の謎とされる部分については何千年も封印されたまま今日に至っている。歴史の真実を封印するために影の支配者が行なってきた代表的なものは『無視』だ。彼らはこれに勝る策謀はないのを知っている。いくら凡夫が叫ぼうとも、学界や政府やマスコミが取り上げなければ大した問題にはならない。もしチャーチワードのような胡散臭い人間が売名行為と金儲けのために架空の物語をでっち上げたりすると、これぞとばかりその人物に詐欺師のレッテルを張り、他のこうしたことに言及する全ての者たちも同類とするキャンペーンを行なう。チャーチワードのような人物は支配者にとって最も都合の良い人物だろう。一方、一般の人たちはよく分からないので、権威ある者たちが説明すれば、そちらの方を信じることになる。このようにして超古代の謎に貼られた封印は解かれることなく維持されてきた。

では我々はどういう態度でこうした問題に臨まねばならないだろう。まずは歴史というものが常に支配者の都合によって作られてきたものだということを知る必要がある。政治とは個人を対象としたものではなく、大衆を対象としたものだ。大多数の国民が素直に労働と勉学に勤(いそ)しんでいれば、それが支配者にとって好都合なのであって、国民に真実が何かなど知らせる必要はない。少数の人間が混乱を招く真実を語ったとしても、様々な形で孤立させて潰すことができる。そして混乱を来す恐れのない発言は、自由という美名のもとに放置しておけば、多くの国民は自由の中で生きていると勘違いする。

総論もう一つ知らなければならないのは、我々は様々なメディアによって日々洗脳の嵐に晒されているということだ。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、ニュースキャスター、コメンテーター、政治家、学者などによって常に作られた情報を押し付けられている。これらの情報を逐一検証するのは大変な作業であり、多くの人は権威ある機関や権威ある人の発言を鵜呑みにすることになる。そこに何らかの作為や情報操作があったとしても見抜くのは至難の業だ。したがってそうしたことをあえて行なう人は少数に止まり、大多数の人はメディアや偉い人が言っているのだから間違いないと思うようになる。このようにして国民は真実から隔離され、盲目の世界に閉じ込められることになる。

今まで何度も言ってきたが、我々は歴史に疑いを抱き、常識を逆さから眺め、メディアに疑問を投げかけて、何世代にも渡って仕掛けられてきた催眠から目覚めなければならない。現在の破局的な世界の状況を目の当たりにしながら、安穏と日々の生活の中に埋もれていては、近づきつつある時代の大転換に対応することはできないだろう。

ただ全てが悲観的というわけではない。最近は時代の大転換が近いのを肌で感じている人が増えてきているように思う。もしそうした人たちが多数を占めることになったら、世の中は一気に変わる可能性がある。それは確かに望みの薄いことかも知れないが、しかし重要なことは少数であろうと多数であろうと真実に目を向ける努力を忘れず、権威の洗脳から身を守り、かつ様々な情報に心を開いて、変なものは変だと発言し、具体的な行動を起こすことだと思う。

<超古代文明の項 終わり>


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