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素直な疑問

長い間、私はある疑問を抱いて生きてきた。それは人間が個人的・社会的、精神的・肉体的に、なぜ大きな悩みや矛盾を抱えながら生きてきたのかということであり、また人類が何千年あるいは何万年もの間、なぜ憎しみや羨望や戦争から解放されなかったのかということだ。

もちろん理由はいくらでも挙げることができる。人間の持つ所有欲、征服欲、自尊心、自己顕示欲、嫉妬心、猜疑心、そして意志の脆弱さ、愛の欠如、怠惰な精神、忍耐力の薄弱さ、寛容性の欠如...等々、言い出せば限がないほどある。しかし私はこれらのことがなぜ人間に染み付いており、なぜ克服できないでいるのかが、何か『変』だと感じてきた。

普通に生きている犬や猫や他の動物たちを見ると、こうした悩みや矛盾を抱えているとは思えない。なぜ人間だけが普通に、深刻な矛盾や悩みなど持たずに生きていけないのだろう。どうして普通に、喜びや信頼や感謝の中で生きられないのだろう。これが私が長い間解けず、謎のまま引きずってきた問いだった。

人によっては、犬猫は下等動物だから悩みなどあるはずないと、学校で教わった進化論に洗脳されているせいで、身勝手な判断を下して満足しているかも知れない。だが果たしてそうだろうか。もし知的な生き物が悩みや矛盾を抱えるのが当然だというなら、この先人間は進化して一体どうなってしまうというのか。これまで所有欲も征服欲も制御できず、愛が憎しみに打ち勝つこともなかった我々がなぜ高等動物だなどと言えるのか。一方で今や人類は、まさに知的になったために自ら作り出した高度な兵器で滅亡しようとしているではないか。

多くの人が勘違いしてきたことだと思うが、人類の歴史に偉大な人物が現れて貴重な教えを説いたと言われている。それに相当するのは孔子や釈迦、ムハマンド(マホメット)やイエス、その他にも多くの偉人たちがいるだろう。しかし冷静な目で見れば、彼らによって人類は愛や平和を実現できたわけではない。それどころか逆に宗教や教えによって多くの戦争が惹き起こされてきた。

中国や日本などでは多少事情は違うが、歴史上延々と続いてきた戦争の大半は宗教戦争であり、これは今も続いている。しかもこれらの戦争はますます頻繁に起こるようになり、大規模化し、一般市民までもが標的となって世界中に蔓延してきている。これらのことを見れば、宗教は良い結果をもたらしたのではなく、かえって世の中を悪くする結果をもたらしたのではないかと思わざるを得ない。中には、『宗教は良いことを教えてきたのだが、人間の側がそれを学ばなかったために世の中はよくならなかった』などと知ったかぶりの解説をする人がいるかもしれないが、そうした人は大いなる勘違いをしている。なぜなら良いことを学べないこと自体が深刻な問題なのであって、それを横に置いて、教えは良かったのに人間が・・・などといっても何の説明にも解決にもならないからだ。

他にも『変』なことがある。1970年にはすでに人口爆発、環境汚染、食糧危機、第三次世界大戦などに対する警告が何人もの人によって発せられていた。彼らは今すぐ(その時点で)対策に乗り出さなければ取り返しのつかないことになると言っていた。しかし為政者(政治家)や企業経営者、学者、マスメデイア、そして為政者を選んだ一般市民も、すぐには行動を起こそうとしなかった。それから40年以上も経った今になって、ようやく一般の人もこうしたことを話題にするようになった。

しかし多くの心ある人が気付き始めているにも拘らず、企業がマスコミを利用して宣伝を始めたために少しおかしくなってきている。一つの例を挙げれば、企業は自社のイメージを上げるためにエコなどという言葉を弄(もてあそ)び、その言葉を宣伝に使って売上を伸ばす戦略に出た。薬品会社、石油会社、電力会社など、地球と人体を汚染している代表的な会社が、特にこの言葉を好んで使っているというのは何とも奇妙な話だ。

素直な疑問もう一度言うと、1970年にはすでに出されていた警告を40年間人類は省みようとしなかった。多くの人々、多くの政治家、多くの企業が目先の利益だけを追い求め、自分たちの欲のために大局を見ようとせず、根本的な対策を講じようとせず、地球が悲鳴を上げるに任せてきた。その<ツケ>が今、解決の道が閉ざされるという形で回ってきている。しかも核汚染、水不足、温暖化、資源の枯渇、テロ、不治の伝染病などの問題がさらに付け加わる結果になっている。

なぜ人類はこうも愚かなのか。なぜ目先のことしか見ず、見えるはずの大局を見ないのか。なぜ自分にこだわり、自分の属する宗教・宗派にこだわり、自分の国や地域にこだわり、自分の支持するイデオロギーにこだわり、自分の属する集団にこだわり、自分の支持するスポーツ・チームや政治党派にこだわっているのか。そしてなぜこれらのことを克服できないのか。

私は長い間考えあぐんだが、その理由も、具体的な解決策も見出すことはできなかった。宗教や党派に属する人たちは能天気に、自分たちの政党が政権を取れば、または自分たちの宗教が世界宗教となれば平和が訪れるといった安直な幻想に浸っている。こういった人たちは人類が何千年もかけて追ってきた夢がなぜ単なる夢に終わったかを考えもせず、なおも愚かに同じ夢を追いかけている。そんな方法で愛と平和が実現しないことは歴史を見れば明らかなのだが、それでもこうした人たちは、一つのことにこだわり続け達観することがない。

私はこれら全てのことが理解できないのではなく、『変』だと思ってきた。なぜならこのような状態が人間のあるべき姿のはずはなく、もっと正当なあるべき姿があるに違いないという思いがあったからだ。

ある時、私は人類が遠い過去、他の生命体によって遺伝子操作を受けていたと述べる書物に出くわした。多くのこうした問題に無関心な人なら、とてもまともな書物とは思わず、妄想家のたわごとと思って気にも留めなかったろう。しかしずっと何かが『変』だと思ってきた私には、突然難解なパズルが解けたような感じに襲われた。もし古代、あるいは超古代に我々の遺伝子が操作され、攻撃的で自己中心的な性癖に改造されていたとしたら、人間が常に精神の調和を欠き、所有欲や憎しみや戦争から解放されないのは当り前のことだと腑に落ちたのだ。

ライオンやヒョウは無駄な殺生はしない。人間の間違った見方によって動物界には弱肉強食というレッテルが貼られているが、実際には肉食動物が草食動物を食べ尽くすなどということはない。海の生き物を見ても、大型の魚が小さな魚を喰い尽すということもない。オラウータンやチンパンジーがテリトリーを主張するのは無駄な殺生を避けるためだ。

素直な疑問学者たちが食物連鎖などという意味のない言葉を使って多くの人を惑わしているが、いかなる階層の生き物も、単に自然の調和を保つための役割を果たしているに過ぎないのであって、それが彼らの生存を保障しているということなのだ。

ただし人間だけはそのようには生きていない。無駄に殺し、必要以上に殺し、遊びのためにも殺したりしてきた。他の生き物を絶滅させ、邪魔な民族を絶滅させ、そして自分たちだけは際限なく人口を増やし、森を開発という美名のもとに消し去り、電力供給の名のもとに川を堰き止め、豊かな暮らしという幻想のために数知れない化学製品を作り出して人間と地球を汚染してきた。これだけ節操のない人類が、なぜ進化の頂点にいるなどという馬鹿げた自惚れに浸っていられるのだろう。言い換えれば、なぜ学者が作り出した進化論などという架空の物語に多くの人が洗脳されてしまっているのだろう。

しつこいようだが人間以外の生き物はみな自然の法則に従って生きている。しかし人間だけがその法則を無視し、自然の支配者であるがごとく傲慢に振る舞い、地上の様々なものを己のために利用し、殺し、改造し、その飽くことのない欲望によって地球を穢している。

これが人間のあるべき姿だろうか。何かが『変』ではないだろうか。いつの日か地球人が憎しみや復讐心や戦争を乗り越えて愛と平和を実現するなどということが果たしてあるのだろうか。いつの日か全ての人間が自分の傲慢さや物欲や支配欲を克服して、調和のとれた崇高な精神を実現するなどということが果たしてあるのだろうか。知り得る限りの歴史を遡ってみても、こうしたことが実現したことはない。人類はどんな有益な教訓にも学ばず、どんな深刻な警告にも耳を傾けず、どんな賢明な諭しにもついに心を改めることはなかった。

果たしてこの地球という惑星に生息する人類に希望の未来などあるのだろうか。何かが『変』ならその原因を探り、正体を突き止め、それからどうすべきかを考えねばならないだろう。我々は先ずその原因を探ることから始めなければならない。


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