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資本主義と社会主義.2

社会主義経済の問題点

産業革命以来、農村で生活できなくなった人々が職を求めて都市に集まるようになり、その多くが工場労働者となった。これはイギリスから始まってヨーロッパに広がり、さらに全世界へと広がった現象だ。

社会主義運動が都市労働者の間で始まって以来実際に革命が起きるまで、世界の支配層は本当に社会主義革命が起きるとは微塵も思っていなかったという。日本政府は当時不快な思いを抱いていたロシアに対し、その皇帝を懲らしめてやろうと、レーニン率いるボルシェビイキに当時のお金で100万円という大金を渡している。こうした行動に出たのも、革命など決して起こるはずはないとの思いがあったからだ。ヨーロッパの各国の指導者も同じ思いを抱いていた。ところがあにはからんや、実際にロシアで革命が起こってしまった。

ロシア革命の後、中国でも社会主義革命が成功し、その後キューバから中南米へと革命運動は広がって行き、世界各国へと波及していった。しかし社会主義や共産主義もその出発時点から様々な問題を抱えていた。一つは革命が武力によって行われたこともあって、権力闘争も武力的なものとなったことだ。ロシアでは革命以前からボルシェビイキ、メンシェビイキ、アナーキストなどの勢力があったが、権力闘争の段階で多くのメンシェビイキやアナーキストが処刑されている。

またボルシェビイキが権力を握った後、レーニンの後継者争いが起こり、ボルシェビイキ内で世界革命を唱えるトロツキーと、一国革命を主張するスターリンの間で権力闘争が起こり、敗れたトロツキーは国外追放となって、亡命先のメキシコで暗殺されている。革命の英雄レーニンはスターリンには権力を譲ってはならないと言っていたそうだが、そのスターリンは仲間からの粛清を恐れて自らいち早く仲間を逮捕し、その全員を処刑した。スターリンの容赦ない粛清は有名で、革命を戦った仲間たちを処刑しただけでなく、さらに国内の134万人以上の人々を逮捕し、68万人以上を処刑し、63万人以上を収容所送りにした。

このように革命の理想はその出発点から血塗られたものとなった。彼らはブルジョアジーと呼ばれる支配階級から労働者を開放したのは事実だが、いったん権力を握ると恐怖政治と変わらない支配を行なった。このようなことはロシアにとどまらず、社会主義革命を起こした全ての国で行なわれたと考えられる。

唯一南米のチリで、民主的な選挙によって社会主義政権が誕生したが、指導者となったアジェンデはピノチェト率いる軍部のクーデターによって暗殺された。これはアメリカ政府がCIAに画策を依頼して行なったことだと解っていて、アジェンデ大統領もCIAのスナイパー(狙撃手)に殺されたというのがもっぱらの噂だ。ピノチェトは権力を握ると労働組合指導者、芸術家、学生など、左翼とみられるのもたちの多くを監禁し、拷問し、殺害した。遺族たちは彼らの遺体を返すよう要求し続けてきたが、その行方は現在も杳(よう)として知れないという。

武力革命を遂行すれば後に武力による権力闘争が起き、民主的な選挙による革命を遂行すれば軍部のクーデターの憂き目にあう。これが歴史の語る事実だ。

社会主義運動は私有財産を持たず、全ての人が能力に応じて働き、富を平等に分けるという理想のもとに始まった。しかしソビエト連邦の70年に及ぶ歴史を見る限り、これらのどれも実現したとは言えない。経済が停滞してくると小規模な私有財産を持つことを認めたのもその一つだが、民衆の不満を買ったのは、能力がないにも拘わらず高官の子息が不相応な地位に就いたことだった。また賄賂が社会のあらゆるところにはびこり、高い地位に就く者が給料以上の賄賂を受け取るということが常態化したため、結果的に富も平等に分配されたとは言えない。

社会主義の小国では後継者選びに関する問題も抱えてきた。ソビエトや中国などの大国は別として、キューバや北朝鮮などでは後継者は指導者の子供や同族に引き継がれることが多く、すべての国民に指導者となる機会が与えられるわけではない。社会主義国家の方が資本主義国家よりも民主的になるという当初の理想は、結局は単なる理想で終わりを告げた。

また大国であるソビエトや中国は近隣の国を次々と侵略し、併合するか、でなければ傀儡(かいらい)政権を打ち立てて属国のようにしていった。チベットやバルト三国はこの代表的な例と言えるだろう。革命という名のもとに社会主義大国は、決して民主的とは言えない方法で数々の国を植民地同然にしてきた。これらのことは人間の権力に対する執着と、大国の小国に対する傲慢さを如実に表わしている。


所長の見解

ソビエト連邦が崩壊した時、ある人たちは資本主義の勝利だと言い、また他の多くの人たちは資本主義が間違っていなかったとの漠然とした印象を持った。しかし本当にそうだったのだろうか。私は社会主義の理想は今も依然として人類の理想であり続けていると思っている。なぜなら資本主義経済国には、100回生まれ変わっても使いきれないほどの富を持つ人たちがいる一方で、毎日買い物の際10円20円の値段の差で悩む生活をしなければならない多くの人がいるからだ。また最貧国では一日数十円で家族全員が暮さねばならない人々がいながら、富める国では平均一日一万円を超える生活をしている人がたくさんいる現状があるからだ。

資本主義と社会主義.2現在の資本主義経済体制の国では巨万の富を得た人が儲け過ぎだと言われることはない。それどころか、逆に勝利者として崇められる傾向にある。一方で貧しい人たちは能力がないか、でなければ怠惰のために貧しいのだと思われる傾向がある。こうしたことは私には狂気の沙汰と思わざるを得ない。なぜなら多くの人は、生まれた家が自分の能力をきちん伸ばしてくれる環境ではなかったり、学校教育がやる気を起こさせる動機づけもせずにたくさんの劣等生を生み出すようなシステムの中で行なわれていたり、充実感を感じられる適切な職場で働くことができなかったりするために、能力を発揮できないでいると思うからだ。ムハマド・ユヌス氏が言うように、貧困は本人の責任などではないのだ。

我々はこの不条理をはっきりと認識しなければならないと思う。ほんのわずかな稀有な人が貧困から身を起こし、一生かかっても使いきれないほどの富を手に入れて神話となることがある。しかし全ての人がそうなり得るだろうか。一握りの勝者が賞賛され、多くの敗者が屈辱と忍従の生活を強いられる今の社会が、果たして健全な社会と言えるだろうか。我々はこの勝ち負けという馬鹿げたゲームから離脱しなければならないと思う。そして共生と協力の社会を構築しなければならないと思う。多くの人は今日の気違いじみた競争と効率一辺倒の経済社会に実はうんざりしているのではないだろうか。実際多くの人が発狂し始めているように私には思われる。

全世界の人々が、今ゆっくり生きる道を選択しなければこの世界は間もなく崩壊するだろう。勝ち負け・競争を離れた、協調と助け合いのSlow Life(スローライフ)こそ、この世を救う道ではないだろうか。そのことに気付き始めた多くの人が、今世界を変えようと行動を起こし始めている。これまで人類がひた走って来た道のりに矛盾を感じた人たちが、色々な仕方でそれぞれ自分たちの革命を起こそうとしている。そうした様々な試みがある中で、ここではとりあえずソーシャル・ビジネスという新しい資本主義の発想を紹介することにしよう。


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