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際限のない利益追求がもたらしたもの

際限のない利益追求とそのための効率主義が我々の社会を歪めている。その表れの一つは人間関係の希薄化だ。働く人々の多くは限られた世界の中で、主に同業者や自分の仕事と関係のある業界の人たちとの付き合いの中で生きている。ある程度高い地位に就く人たちは自分を立派な社会人だと思っているようだが、その視野は意外に狭い場合が多い。このような人たちは多くの人と接するので、自分は世間の多くのことを知っていると思い込む傾向がある。彼らはほとんど誰にもその考えを批判されることがないので、視野の狭さに気付くことは稀なようだ。実際は彼らは自分の仕事を通して社会や人間を見ているのであって、いわば一つの立場から割った社会の断面を見ているに過ぎない場合が多い。

社会的地位を手に入れた人たちが多くの人と接しているとはいえ、それはあくまでも仕事の上でのことであり、会社の看板や肩書を剥がした生(なま)の人間同士の付き合いではない。彼らが素の状態に戻った時、どんな人々とどんな付き合いをしているのだろう。男なら素に戻った時には、家庭では父であったり夫であったりする。しかし中には仕事上の自分を家庭にも持ち込む人もいるだろう。友人の集まりやクラス会などでも、同じように仕事上の自分を出す人もいる。したがって今日の仕事最優先の社会の中では、人間同士が生の付き合いをするのが難しい状態になっている。

では何故こうした状況を招いているのだろうか。それは今の世の中が肩書やお金で人を判断する傾向が強いからだろう。働いて成功することが何よりも重要と考えられている今の世の中においては、仕事さえきちんとしていれば、人間性や個人的な人格が問われることは稀だ。極端な話をすれば、深い愛情を持った主婦や人格高潔な一労働者が、たとえばビル・ゲイツや松下幸之助や本田宗一郎よりも高く評価されるということはない。肩書やお金で判断する傾向が強い状況にあっては、仕事上の付き合い、あるいはお金にまつわる付き合いが優勢となり、愛情や人格を中心とした付き合いが希薄になってしまう。これは仕方ないでは済まされない。その結果は深刻だからだ。

現状を見れば、お金を持っている人たちはそれを何とか守ろうとし、あるいはそれをさらに増やそうと必死になっている。お金のない人たちは少しでも贅沢な生活を手に入れようと奴隷のように闇雲に働いている。このような状況では人格がどうのこうのと言った議論が入り込む余地はない。ましてや人生の意義だとか人間とは何かといった話は、時間の無駄遣いか、愚か者の暇つぶしくらいにしか見られないだろう。このように人間の関係は金をめぐる経済上の付き合いが中心となり、生の付き合いはどんどん希薄になっていっている。

人間関係が希薄になるとどんなことが起こるだろう。それは孤立した人間同士が敵意を持って一緒に暮さねばならない社会の出現だ。都会では膨大な数の人間が集まりながら孤独の中で暮らす人が増えている。彼らは口には出さないだろうが人のぬくもりを渇望している。とはいえ彼らの多くは誰かが自分に目を向けて愛情を注いでくれないかと、ひたすら待っているだけだ。そして誰も振り向いてくれないと分かると、自分の魂を救うために生死をかけて巨悪事件を起こしたりする。昨今の無差別殺人などはその例だろう。世間から忘れられ孤独に打ちひしがれた人たちは、犯罪さえ厭わずに世の中の注目を集めようとする。そこからは人間関係の希薄さに蝕まれた赤裸々な心が浮かび上がってくる。

また格差社会の中で高い地位や満足のいくお金を得られない人たちの中に、自分の現実を受け入れられないで悶々としている人たちがいる。彼らの目に入ってくるのはマスメデイアが作り上げたきらびやかな世界だ。そうした世界と自分の現実を見比べ、自分は惨めで不当な状況に置かれていると感じている。そして彼らは孤独の中で自分を見つめるうち、だんだんと惨めな状況にある自分が許せなくなる。中には感情が外へ向かわず内へ向かう人もいる。彼らは他人に危害を加える替わりに、駄目な自分を虐(いじ)め抜くようになる。リスト・カットをしたり、自ら命を絶ったりするのはこのような人たちだと思われる。

所長の見解3-神の特性.2このように際限のない利益追求と、それを実現するための効率主義が人間関係の希薄さを生み、人間関係の希薄さが底なしの孤独を生んでいる。そしてその孤独が様々な犯罪や悲惨な自殺を生んでいる。

ところで現在、マスメデイアを使って無数の商品が宣伝されている。全てとは言わないが、その多くは誇張や脅迫や嘘などを含んでいる。「知らないうちに~が身に着く」、「何週間で~が出来るようになる」、「あなたはもう~していますか」、「うれしい~」、「~があればもう心配ない」、「何歳を過ぎると~になる」、「幸せを運ぶ~」等などだ。

多くの人は普段生活する中でテレビやラジオや様々な雑誌などから必要のないものへの欲望を植えつけられている。好みの車やブランド品や新しいゲームや日常で使う無数の新製品など数え上げればきりがない。この植えつけられた欲望を満たすために、人々の多くは身体を壊すほどの過酷な労働を自らに強いている。実際身体を壊す人もいれば鬱病になる人もいる。しかしそうした人たちでさえ、自分が植えつけられた欲望に翻弄されているとは考えていないようだ。社会的地位の高い人はその地位を維持するには過酷な労働も仕方のないことだと考え、また特別な地位を得ていなくても、多くの人は生活の糧を得るには仕方のないことだと考えているようだ。特に不況下にあったりすれば、仕事ができるだけでも有難いと考えたりするだろう。

我々には好みの車やブランド品や新しいゲームや日常で使う新製品などが果たしてどれだけ必要だろうか。それは本当に必要不可欠な物なのだろうか。もちろんそういう場合もあるだろう。しかし単に恰好がいいから、他人より良い物を持って優越感を味わいたいから、または自分の好みだからそれを手に入れたいと思う人が圧倒的に多いのではないだろうか。いい恰好をしたいとか優越感を味わいたいというのは、すでに精神が歪んでいることの表れだと思われる。また自分の好みなのだからそれに金をつぎ込んで何が悪い、と言う人もいるだろうが、その人は自分の好みが何者によってどのように作られたのかを知らないのだと思う。

ファッションやトレンドという言葉で言い表わされるものは、最も分かりやすい植え付けられた欲望の対象だろう。これらを得るためにどれだけ労働という代価を払っているのだろう。中には借金までしてそれを手に入れる人たちもいるだろう。これらは際限なく利益を求める企業の体質と変わりない。10万円が手元にあれば20万円にあこがれ、100万円あれば200万円を求め、1000万円あれば2000万円にしたいと思い、1億円を持てば2億円を夢見て暮らす。どの状態にあっても満足することなく、不満の中にいる。そんな生き方をしていながら幸せになりたいと平気で言う人がいるのだから、もはや歪んだ心がはびこった社会になってしまったと言わざるを得ないだろう。

多くの人はお金が幸せを運んで来てくれるように思っているのだろうか。たとえそうとは思っていない人でも、幸せのためには最低限のお金は必要だと思っているのではないだろうか。もしお金によって本当に幸せになれるのなら、人間社会は何も難しいことはないはずだ。哲学や文学や、まして宗教などは必要ないことになる。だが現実はそうではない。江戸時代の天保の飢饉や戦後の貧しい時代と較べれば、今の日本はお金持ちで溢れていると言えるだろう。なのにどれだけの人が幸せでいるだろう。際限なくお金を求めていながら、同時に満足のいく生活を求めているというのはどういうことだろう。何かが間違っており、何かを履き違えてはいないだろうか。

じゃあ一体どうしたらいいんだと問う人がいるだろう。答は単純だ。それは多くの先人や賢者が述べているように、『足るを知る』ということだ。豊かな大自然の中で暮らしていても、お金のことしか頭になければ、与えられ恵まれていることに気付かないだろう。現状に満足せず、次から次と新しいものを欲し、あるいはもっともっとと際限のない金を求めていては、永久に心の平安は得られないだろう

こうした生活をしていては感謝の気持ちも起きないだろう。感謝は和の基本的な要素だが、それがないために人との和を築けないでいる。その結果、皆ばらばらになって孤独の地獄に落ち込み、互いに疑心暗鬼になって怒りっぽくなる。それが高じてもめごとや犯罪が起こる。中には自分自身に怒りを向けて自滅する人も出ている。これは実は個人が病んでいるだけでなく、社会全体が病んでいることを示している。このような状況下では、いつになっても平和な世界など実現しないだろう。

一部の恵まれかつ満足を得ている人たちも、この病んだ人々を放置しておくことによって、やがて社会的不安定という形で見返りを受けるだろう。本当に満足や平和を望むなら、病んだ人を放置しておいてはならないし、社会の病を見過ごしてはならないだろう。自分だけが満足を得たり幸せであったりなどは、この世では成立しないことを知らなければならない。

企業も人も際限のない利益を求め続ける現代社会は、その歪みによってやがて崩壊の憂き目を見るだろう。それが欲にまみれた文明の行き着く先だと思うのだが。

さてここで、こうした状況を根本から変えるために、具体的な提案をしたいと思う。それは一見、実現不可能に見えるかも知れない壮大な目標だ。しかしムハマド・ユヌス氏も言うように、不可能と思うこと自体が実現を妨げてきたのだと思う。我々一人ひとりが実現するという意思表明をし、それを実行に移せば、必ずや物事は可能となるだろう。

私の提案は三つの柱からなっている。ソーシャル・ビジネスとスロー・ライフと幼児・学童教育だ。ではこれらについて順に述べていくことにしよう。


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