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初めに

『あとどれほどの時間、どれほどの時代、人間は因習や既成概念、偽りの幻想に囚われ続けなければならないのでしょう。その監獄は宗教やいんちきな神話、無知、愚かさによって生み出されているのです。いったいあと何百年、何千年経てば、太古からの己の運命を悟ることが出来るのでしょう。道を失い、視界を閉ざされ、狂った僧侶によって導かれる人類。星々の間に存在する祖先の庭、自らの生命が誕生した時の源にたどり着くまでに、あとどれほどの間、苦しみの道を歩まなければならないのでしょう。自分自身の過去と地球の過去を忘れてしまい、先駆者たちの記憶を失ってしまった人類。あとどれほど、この孤独に喘がなければならないのでしょう』

これはマオリッツオ・カヴァーロ氏が自身の著書で述べている言葉だ。闇の支配者について実態を暴こうとすれば、彼の言葉にあるように、この世で良しとされているほとんどのものを否定しなければならなくなる。我々の世界で信じられていること、行なわれていること、常識、慣習、そして勤勉や勤労さえも、闇の支配者の謀略の一環だと思われるからだ。このような言い方は多くの人にとって不快なものだろう。しかしそれでもあえてこの世で認められた事柄を、その確たる地位から引きずり降ろそうとするのは、そのような手法でしか真相を暴く道はないからだ。

ではあらゆる既成の権威、価値を否定した後に、いったい何が残るだろうか。何も残らないと言えば読者は憤慨するかもしれない。しかし何もかもが何者かに仕組まれたものであり、その計略に大多数の人々がはめられた結果として今のような世界が出来上がっているのだとしたら、何も残らないのは当然と言えるだろう。闇の支配者は何百年、何千年という時間をかけて人々を洗脳してきた。したがって多くの人は自分が操られていることにさえ気付かないでいる。またその手口が巧妙なために、多くの人々は彼らに植えつけられた幻想の中で生きていることにも、作られた目先の欲望に振り回されて生きていることにも気付かないでいる。

最近は闇の支配がいると主張する人が何人か現れ、その本も出版されている。しかしそれらを読んだ人の多くは、どこまで信じてよいのか測りかねているのではないだろうか。何故ならそのように気付いたと言う人たちでさえ、何者かに踊らされて、植えつけられたお題目を唱えているに過ぎないかも知れないからだ。

確かに闇の世界を見極めるには困難が伴う。彼らは何重ものバリアーを張り巡らし、いくつもの目眩(めくら)ましを施しているからだ。それらを事細かに説明しようとすれば、膨大な量の文章を書き連ねねばならない。それはホーム・ページの許容範囲を超えることなので、ここでは結論のみを述べることもあると思う。ただしそれは単なる否定のための否定ではない。あるべき正しい世の中を見出すには、一旦すべての価値と権威を払拭しなければならないからだ。

我々が確かな心眼を持ち、現象の背後に隠された真実を見極めるには、余計なものは何もかも一旦取り除く必要がある。そして全ての霧を晴らした時、ようやく肯定に至る道が見えてくるだろう。


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