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初めの出来事

まず初めに大本教の出口王仁三郎氏が天啓を受けて書いたと言われる『伊都能売神諭(いずのめしんゆ)』の記述を紹介しよう(ただし解りやすいように今風の言葉に直してある)。

『我々が知り得ない遠い過去、光も熱もまだない時に、地球を覆っていたのは泥の海だった。陸地もなく、したがって川も湖もなく、風も雲も、透き通った海もなかった。これが未だ知られざる太古の地球の姿だった。

初めの出来事その泥海に何か光るものがうごめいていた。青い水晶のような不気味に光るうごめくものは、身の丈が1500メートル、胴周りが900メートルあった。これこそが様々な神が現れる前の、天地の元の親神だった。この大神は鱗も角もない姿で長閑(のどか)に過ごしていた。』

この後に以下のような内容が続く。

『このミロクの大神が世界を造ることについて独り心配なさっている時、頭に十六本の角が生えた大蛇神が現れた。大神は「こうして泥の世界の暗い所に住んでいても何の楽しみもなく、何の功能もない。たくさんの眷族(けんぞく)もいることだし、立派な天地を造り上げ、眷族が楽しく暮らすようにしたいので片腕になってくれないか」とお聞きになった。大蛇神は一度は分不相応と言って辞退したが、自分を末代あなた様の女房役にしてくださるならと言って申し出を引き受けた。この約束は地の高天原の竜宮の館で結ばれた。

そこへ艮の金神(うしとらのこんじん)の前身である国常立之尊(くにとこたちのみこと)の荒神(あらがみ)が現れて、世界をお造りになるお手伝いをさせていただきたいと申し出た。ミロクの大神は、その方(ほう)は見かけによらず忠誠無比の神なので、世界の一切を任すから、落ち度のないようにいたせとおっしゃった。そして大神は全ての蛇体の眷族を集めて協議の上、国常立之尊を総体の頭に選んだ。』

これが王仁三郎による世の始まりの記述だ。この国常立之尊の姿は現在の我々が想像するいわゆる神の姿とは程遠く、その頭には八本の角が生えていて、全体に鬼神というにふさわしい様相を備えていたという。現実にその姿を見たなら、人間などは震え上がって卒倒するだろうとも記されている。

さて最初の二柱の大神が天に登って、先に天界が完成した。その後地の主宰神である国常立之尊が地を固め、この世を創った。しかしその後にある事件が起きた。

『その頃、今の露国(ロシア)のあたりに八頭八尾(やつがしらやつお)の大蛇神が住んでいた。この神は自分が天地に上がって、天から末代にわたって地を守護したいという思惑を持っていた。しかしすでに天地は三柱の大神によって作られていたので、誰にも相手にしてもらえなかった。

そこでこの八頭八尾の大蛇神は、世を乱し自分の自由にしようと、多くの下々の神を甘い言葉で味方につけ、終いには国常立之尊を艮(うしとら=丑寅)の方角である日本に閉じ込めてしまった。こうして悪神の思うように世は乱れ、今の荒れた世の中となった。』

これが悪が最初に生まれた経緯だという。

同じ出口王仁三郎氏が書いた『霊界物語』によれば、その後インドの辺りに陰極の邪気が凝り固まって金毛九尾白面(きんもういきゅうびはくめん)の悪狐が発生し、またユダヤの土地に別の邪気が凝り固まって八面六臂(はちめんろっぴ)の鬼が発生したという。

悪の枢軸はこの三柱の悪神によって成った。すなわち大蛇、金狐、邪鬼だ。このうち金狐と邪鬼は世界の大変動の時まで改心することなく抵抗するだろうと書かれている。

初めの出来事ところで岡本天明が記したお筆先である『ひふみ神示』にもこの三悪神の名が出てくる。特に「いしのしぐみ」と表現されているものに注意が惹かれる。これは漢字に直すと「石の仕組」となる。「仕組」とは『ひふみ神示』では組織または計画を表わす言葉であり、「石」はこの場合石工(いしく)を意味している。近年話題になっているフリーメイソンがもともと石工の組合から出発したことを考えれば、「石の仕組」がユダヤの邪鬼を指しているのではないかと思われる。

この三悪神は邪気が凝り固まって出来たと記されているが、なぜ邪気が生まれたかについては説明されていない。私は陰陽の法則によって説明するしかないと思っている。国常立之尊がこの世界を創ったので、最初のうち眷族たちは楽しく暮らしたに違いないと思う。『ひふみ神示』に宇宙の本質は歓喜であるとあるように、眷族たちは宇宙全体との繋がりを持っていて、歓喜の中で暮らしたのだろう。そうであれば陰陽の法則によって反対の邪気が必然的に結晶したと考えることができる。眷族たちの楽しい暮らしがどのくらい続いたかは今や知る由もないが、その後に凝り固まった邪気が働き出して、この世に歪みを生じさせただろうことは想像に難くない。ではその歪みの具体例を見てみよう。

日本の記紀神話には謎の出来事がいくつか記されている。イザナギとイザナミが結び合って国生みをした時、初めに生まれたのは蛭子(ひるこ)であり、二番目は淡島(あわしま)だった。だがこの二つとも子供の数には入れないと書かれてある。(ちなみに三番目に生んだのは淡路島であり、これ以降は国として数えている)

この蛭子とは手も足もないので、簡単にいえば奇形児のことだろう。淡島の「淡」は「うすい」または「はかない」という意味だ。このくだりは何か変だ。聖書の創世記のように、神が完璧に宇宙を創り、人間を神に似せて理想的に創ったという記述とは大きく違う。もしかしたら何度か実験を重ね、失敗を繰り返したことを意味するのではないだろうか。これはエドアルド・マイヤー氏やマオリッツオ・カヴァーロ氏が異星人から聞いた、人類は彼ら異星人の遺伝子を地球の生物に植えつけて創られた、という主張と符合する。ゼカリア・シッチンもシュメールの粘土板文字を解読して同じようなことを主張している。この人類出生の謎は何千年、何万年もひた隠しにされてきたが、日本の『古事記』はその事実を正直に述べている数少ない神話なのかもしれない。

話を元に戻すと、人類を創造し歓喜をもたらすはずだった計画は、これらの主張を見る限り最初から躓いたことになる。また記紀神話によれば、イザナギとイザナミの国生み・神生みは、イザナミがカグツチ(火の神)を生んだ時に火傷を負って死んでしまうという結果に至る。そしてその後はイザナギという男性神のみによって神生みが行なわれる。しかもそのほとんどはイザナギがイザナミを甦らせようとして黄泉の国へ行き、そこから帰って来て禊(みそぎ)をした時に生まれている。簡単にいえば、黄泉の国の穢れを落とした時に生まれている。

このことから言えるのは、一つはイザナミが黄泉の国へ行ってしまって以来、この世は男性性の支配する世になったということ、もう一つはこの世は禊によって生まれた穢れから成っているということではないだろうか。

また記紀神話によれば、その後神武天皇が、元々天の神族でありながら人間の世に降ってこの世を治めることになったことが述べられているが、これも人間が神と交流する能力(心)を失い、自分勝手に宇宙の法則から遊離して活動し始めたためだと考えられる。

このように考えてくると、どうも歓びの方はこの世にはきちんともたらされなかったと推測される。これは単に人間だけのせいとも言えないだろう。人類創造の時点の失敗、神であるイザナミの死、禊による穢れから生まれた神々や穢土(えど=この世)など、いろいろ問題があったようだ。原因が一つであれ複数であれ、これまで続いてきた世界は何らかの過ちの結果であったように思われてならない。

では具体的にそれ以降の世界がどうなったかを見ていくとしよう。


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