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超古代から古代へ

神話は宇宙創世の時から数万年前までの、超古代の出来事を綴ったものだと思われる。未だそれが人類の想像の産物なのか実際の出来事の伝承なのか議論に決着はついていない。しかし時の政権が支配に都合のいいよう手を加えただろうとはいえ、込み入ったストーリーの展開や多くの神々の名などを見れば、わざわざ架空の物語を作って後世に伝えたとは思えない。真相は今になっては知る由もないが、何らかの事実が基になっているのは間違いないと思う。

さて超古代においては、人類の出生に問題があったにせよ、一定の期間、人間は神々=異星人の知的(霊的)本源にアクセスできたのだと思う。何故ならたとえ彼らが人類を奴隷として創造したのだとしても、またはそうではなかったとしても、その神々または異星人と通じ合わなければならなかったはずだからだ。人間たちが生き延びるためには、例えば蜘蛛が親に教わらずに自分の蜘蛛の巣を作れるように、また草食動物が教育を受けたわけでもないのに決して毒草を食べないように、何らかの形で宇宙の智を得なければ生き延びれなかったはずだからだ。

超古代から古代へしかし時代が下って古代になると、そうした人間はかなり少なくなったのではないかと思う。したがってそれを専門とする祭司のような存在が必要になり、職業化または専門化されていったのではないだろうか。彼らは元々は真の智にアクセスできたと思うが、人間の邪(よこしま)な想念が幽界を作り出し、その幽界の波動や悪神からの干渉などによって、次第に正しい智が得られなくなったのだろうと思う。古代エジプト、アッシリア、バビロニアなどの王国、またホピ族やマヤ、アステカなどにいた祭司や巫女やシャーマンなどは、そうした役目を専門に担う人たちだったのだろう。しかし多くは利害のために祈祷したため、正しい智を得ることは少なくなったのだと思う。

これが中世になると真にそうした役目を果たす人々はいなくなり、権力と結びついた邪な人々が内容を失ったまま、形だけその役割を担うようになったのではないだろうか。そうしたことが人類を虚偽と迷いの世界へと導いたのだと思う。

このような経緯は原初の三悪神の計略の結果だと思われる。ただ物理的に証拠を示せるわけではない。したがってもし推論しようとすれば逆の道筋をたどらねばならないだろう。すなわち、現在の世界が到底まともな状況にはないという認識の上に立って、それには何らかの理由があってそうなったと考えなければならないということだ。そうであれば証拠があるないにかかわらず、何かがおかしいことになり、様々なことにについて推論できる。

我々が先入観を持たずに感じるところは、この世に何故多くの困難な問題や不条理な出来事や耐えがたい不幸や際限のない欲望や高慢や屈辱や病や死があるのか、ということだろう。これは私が十代に意識に目覚めた時に感じたことだが、この疑問に対しては人間自身やこの世界にのみ原因を求めていたのでは答には辿り着けない。それは今言った目に見えない世界の事柄も視野に入れなければ説明のつかないものだと思う。具体的にいえば、悪神たちはこの世を我が物とし、宇宙を創造した大神と対峙してまで人間を支配しようとしてきた。それがために様々な問題がこの世にもたらされたと推論できる。

では何故悪神はこの世に様々な問題をもたらそうとしたのか。これについて少し述べることにしよう。『ひふみ神示』によれば、我々より一つ次元の高い所にいる生命体は我々の感情をエネルギー源としているという。すなわち我々が穀物や野菜や肉などの食べ物からエネルギーを得ているように、彼らは我々の感情からエネルギーを得ているというのだ。

これは俄かには信じがたい話だが、現代科学による洗脳を払拭すれば理解はそれほど困難ではない。我々は物質から蛋白質や炭水化物や脂肪、また様々なミネラルやその他の栄養素を摂って生きていると思い込まされている。しかし地上の生物はそれだけで生きている訳ではない。物質代謝は化学的な反応に過ぎず、例えば実験室で複雑な反応装置を作ってやってみれば、出来ないことはないと思う。

超古代から古代へ我々人間は単なる化学反応装置ではない。何故なら我々は感情を持っているからだ。論理が最も優れたものであるかのような教育を受けた我々は感情を下等なものと見がちだが、この感情がなければ我々は単なる物と変わりなくなる。

人間を人間たらしめているのは感情だ。それは人間は論理や機械では測れない存在であり、言い換えれば霊的な存在だからだ。したがって精神(魂)の波動を上げれば物質としての肉体を超越し、霊が肉体を離脱したりもできるということだろう。また霊体が逆に肉体に影響を及ぼして病を治したり若返らせたりすることも可能だろう。このように霊としての人間は感情をその実体として生きている。したがって感情は肉体をはるかに超えたエネルギーを持っていることになる。霊的次元にいる生命体はこの人間の感情のエネルギーを得ることによって強力な力を得ることが出来るのだと思う。

このように考えてくれば、何故善神と悪神あるいは善霊と悪霊がいるのかが分かってくる。一方は人間の歓びをエネルギー源とし、他方は人間の憎しみなどをエネルギー源としていると考えられるからだ。今の世界は悪神が支配し、悪神の思うがままとなった世界だと言えるだろう。憎しみや怒り、恨みや嫉妬、不安や悲しみが渦巻く現状は悪神や悪霊たちにとってふんだんに食料を調達できる世界だろう。

では悪神の計略はどのように実現されたのだろうか。超古代においてすでに悪神たちは創造主に背いて自分たちだけで地上を治めるという夢に思いを馳せていた。彼らは自分たちの夢を実現するために、まず邪魔となる善的な神々を葬り去ることを計画した。彼らは眷族を一人ずつ味方に付けてゆき、やがて多勢となって善神を鬼門と呼ばれる次元に閉じ込めた。

それによって悪神たちが思い通りに地上を治めることが出来るようになると、彼らは人間の暗い感情を引き出すために様々な策謀で人間を惑わし始めた。そのため人間たちは疑い深くなり、際限のない欲望を持つようになり、残忍さを楽しむようにさえなっていった。人々は悪神のように他人を支配することに喜びを覚え、正直者を騙すことに快感を覚え、優劣にこだわって争いを好み、卑屈な優越感を募らせていった。

こうして人間の言動が目に余るものになった時、創造の大神が魂の純粋な僅かな者を除いて、全地の生き物を一掃したりもした。しかし生き延びた純粋な人々も、やがて悪神や悪霊の誘惑の罠にはまり、再び憎悪と欲望に満ちた世界を作っていった。三度、あるいは四度そうしたことが繰り返され、その後に今のこの世の中がやってきた。果たして今回はどのような結末になるのだろうか。


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