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4.水についての別な考え

水についての我々の認識や現代科学の考察はまだ表面的なのではないかと主張する人たちがいる。我々がまだ理解できていない水の役割が他にもあるというのだ。これについていくつか話を紹介しよう。

(1)水の記憶

水には我々が長い間気付かなかった特性があるようだ。その特性の一つが記憶力だ。一般の人には俄かに信じがたい話かもしれないが、江本勝氏の『水は答を知っている』を読むと、驚くべきことが実際に起こっているのが分かる。

彼の本にはたくさんの水の結晶の写真が載っている。その結晶は様々な形を見せる。作り方はこうだ。50個のシャーレに種類別に、様々な水を一滴ずつ垂らし、マイナス20℃以下で三時間冷凍する。すると表面張力で丸く盛り上がった1ミリほどの氷の粒がシャーレの上に出来上がる。その突起の部分に光を当てて顕微鏡でのぞくと、結晶が見られる。それを写真に撮ったものが彼の本に載せられている。

全ての氷に結晶が現れるわけではない。東京の水道水のように結晶にならない水もある。東京に限らず、日本の全国の水道水には塩素が使われているので、そのせいで結晶化しないのではないかと江本氏は言う。塩素は毒であり、それが入った水道水がコレラの蔓延を防いでいるとも言われるが、それだけの毒性があるとすれば、人体に悪い影響を与えないわけはない。

江本氏は様々な実験をしている。例えばガラスの瓶に水を入れ、「愛・感謝」と書いた紙を裏返しにして(すなわち水に向けて)貼る。また同じ水を別の瓶に入れて、「ばかやろう」と書いた紙を貼る。この二つの水を凍らせて写真を撮る。すると「愛・感謝」の方は美しくも見事な結晶を見せるのに対し、「ばかやろう」の方はきちんとした結晶にならない。人を傷つけるような「ムカツク・殺す」、また英語で「You fool」と書いて貼った水も結晶を作らない。それどころか時にはおぞましい姿を見せる。

彼は世界中の都市の水道水を手に入れ実験してみた。日本の水道水がどれもまともな結晶にならないので、マンハッタンの水はさぞかしひどいだろうと思ったら、意外なことにきちんとした結晶になった。これは給水塔に杉の樽などを使う工夫をしているためらしい。パリ、ロンドン、東京はひどい姿に、バンコクはおぞましい姿に、ローマは結晶になりきれず、ベニス、ベルンは何とか結晶になった。一方、ブエノスアイレスとマナウスはきれいな結晶を作った。マナウスはアマゾンの恵みのせいかもしれない。

またガラスの瓶に入れた水を二つのスピーカーの間に置いて、曲を聞かせるという実験もしている。ベートーベンの『運命』の場合はきめの細かい美しい結晶となったが、ヘビメタのやかましい曲の場合は「ばかやろう」の紙を貼った時のような見苦しい姿となった。

このほかにも太陽、富士山、ストーンヘンジ、サンゴ礁、マチュピチュなどの写真の上に水の瓶を置いてその結晶の写真を撮ったら、きれいな形ができていた。

さらにもう一つ紹介すると、群馬県の藤原ダムのダム湖の水の場合だが、真言密教のお寺の住職に頼んで加持祈祷してもらい、祈祷の前と後の水で結晶を作ってみた。すると祈祷前の水は醜く歪んだ顔のような不気味な形になったが、祈祷後の水は縁に細かな宝石のような塊が花弁のように取り囲み、その中に正六角形の柱のようなもので出来た二重の枠があり、さらにその中に小さな六角の板のような結晶が出来ていた。しかもその中心の板の結晶の周りに、後光のように光を放つ輪が取り囲んでいた。私はこの写真を見た時、興奮してすぐに携帯電話で写真を撮り、待ち受け画面に使わせていただいた。

さて、このようなことが一体なぜ起こるのだろう。これは空想でも手品でも偽造でもない。事実なのだ。だとしたら水は記憶力を持ち、しかもそれに応えていると言わねばならない。水とは一体何ものなのだろう。我々は水の正体について何も知らずに付き合ってきたのではないか。古代の人々は水の本質を知っていたのだろうか。我々は水についてもう一度考え直さなければならないのではないだろうか。水の正体を知ることによって、もっと重要な何かが解るのではないだろうか。

これについては最後のところでさらに詳しく述べることにしよう。


(2)ホメオパシー

ホメオパシーは同種療法、同毒療法、同病療法などと訳される。これはどのようになされるかというと、例えば鉛中毒の患者に対しては、瓶などに入れた水に、少量の鉛を溶かしてよく振る。次にこれを水で100倍に薄め、再びよく振る、さらにこれを100倍に薄めてまた振る、というふうに30回繰り返す。すると最後の水は最初の鉛の水の100の30乗 (=10の60乗)倍希釈したことになる。すなわち1の後に0が60個並ぶ数字・分の1に薄められたことになる。これにはもはや鉛の分子が一つも入っていないと考えなければならない。これを患者に飲ませると、鉛の波動が打ち消し合うのか、もはや鉛のない水が鉛を取り込んで解毒するのかは分からないが、とにかく症状が改善するとされる。

とはいえホメオパシーが科学者によって十分評価されているわけではない。何事においても目に見える物的証拠を拠りどころとする現代科学は、ホメオパシーにも否定的だ。ただこれは古くから民間療法として用いられてきたのは事実で、現在でもヨーロッパのイギリスを中心にドイツやフランスアメリカなど、また中南米の各国、そしてインドなどの途上国の貧困層などで頻繁に用いられている。

この効果の真偽に関する論争は、科学と精神世界の鬩(せめ)ぎ合いの具体的な例とも言える。ホメオパシーは実際に効果のある場合もあり、またきちんとした手順を踏まないため深刻な結果を招く場合もあり、科学の側からは悪い方の結果が批判の対象となり、良いも悪いも両方否定される結果になっている。

余談だが、科学信奉者はUFOや異星人に関しても、どれが本物かでなくて、偽物が一つでもあれば全部否定してしまう傾向がある。これは正しい科学的態度とは言えない。科学的態度を自認するなら、一つでも否定できないものがあれば、例外として扱うのではなく、真摯に事実と受け止め、研究の対象としなければならないはずだ。

ホメオパシーは一説には5000年くらい前から用いられてきたといい、その歴史は非常に古い。2500年くらい前には「医学の父」とも言われる古代ギリシアのヒポクラテスがホメオパシーについて言及している。また近代では200年くらい前、ドイツ人の薬剤師ハーネマンが医学の対処療法に疑問を抱き、自然の素材を用いて自ら実験台となって研究を進め、最終的に『似たようなものが、似たものを癒す』という見解にたどり着いた。その後医薬品が大量に出てきたため、ホメオパシーは影をひそめたが、現在は化学薬品の副作用を懸念する人々によって再び注目を集めるようになっている。

さてホメオパシーは希釈すればするほど効果があると言われるが、これは現代医学の常識からは信じられないことだろう。10の60乗倍も希釈すれば、もはや元の物質は入っていないはずなのに、どのように効果がもたらされるのか。また毒なるものをいくら薄めたとしても、現代医学の見地からは毒に変わりないことになる。

これを解釈するには前項でも言ったように、水には記憶力があると考えなければならない。鉛の希釈水にはもはや鉛の元素は入っていないが、鉛の記憶を持っていて、この水が実際の鉛に出会うと、何らかの形でその毒性を消滅させてしまうのかも知れない。中和するのか、毒性を消滅させるのか、鉛を解毒するのかはよく解らないが、症状は軽減したり、完全に治ったりする例があるのだから、何らかの効果があると考えなければならない。

ハーネマンはマラリアに関して、キナの皮を煎じて飲むとその苦み成分がマラリアを治すという論文を読み、自ら実験してみた。するとマラリアに罹った時と同じ症状が現れた。これを基に、同じものが同じものに効くという『同種の法則』を発見したと言われている。したがってこれだけを見ればワクチンに似ているが、しかしホメオパシーは原物資がなくなるだけ希釈した水を用いるので、基本的にはワクチンと違う。ハーネマンはそれまでの、薬による「病状の抑圧」という方法ではなく、希釈した水によって似たような病状を引き起こして身体の自然治癒力を高めることを目指したと言える。私の推測では、彼はこの方法の発見に際して、特に水そのものには注目していなかったと思う。彼が『同種の法則』を発見した際、あくまでも溶質である物質の方に意識がいっており、その溶媒である水には意識が向いていなかったと思われる。

もし彼が水の方に注目していれば、別の科学的地平が拓かれていたかもしれない。現在あらゆる現象を波動で説明しようという人たちが出てきて(アメリカで生まれたニュー・エイジ思想に耽溺する人たちは別だが)、科学的態度でその本質を客観的に解明しようとしている。これらの人たちの中には、足立育郎、江本勝、神坂新太郎などが含まれる。彼らの書いた本やDVDを見ると、現代科学の物質に対する認識がいかに浅いかを感じざるを得ない。また物質を形作っている波動というものがいかに多様で奥深いかを思い知らされる。

ホメオパシーを考える際、単に目に見える物質や現象に囚われるのではなく、我々の五感では捉えられない現象に目を向け、それらを客観的に見つめる態度が必要だろう。我々は自分という人間が人格的にまだまだだと感じているように、現代科学も発展途上にあり、まだまだ真実を知らないことを謙虚に認めるべきだろう。そうすれば目に見えない世界の奥深さに気付き、新たな研究の分野が見えてくるに違いない。私は上に挙げた目に見えない世界を研究している人たちが、今後の科学を正しい方向へ導くのではないかと思っている。

(3)宇宙から来た水

4.水についての別な考え水はどこから来たのだろう。現代科学が描き出した宇宙進化の物語の中では、宇宙を漂っていた岩や氷の粒が、合体を繰り返して星になった時、マグマ・オーシャンと呼ばれるマグマの海から水蒸気として大気に吐き出されたものが、温度が下がるに従って雨となり、地上に降り注いで海や湖や川になったと説明される。

しかしそもそも宇宙空間に何故水があったのだろう。これについては現代科学では次のように説明される。水素(H)はこの宇宙で最もありふれた元素でありどこにでもある。一方酸素(O)は重い太陽の内部で核融合によって作られた。これが超新星爆発などで宇宙空間にばらまかれた後、水素と結びついて水(H2O)になった。

また酸素は様々な物質と反応しやすいので、鉱物の形で宇宙を漂っていることもあり、それが星ができる際にマグマ・オーシャンから吐き出されたりする。また酸素は他の元素と結びついて有機物の形をとっていることもある。これが星が出来る際に高温で分解され、二酸化炭素と水蒸気(水)になって大気を形成するとされる。

この水生成の物語がどこまで正しいかは解らないが、宇宙に水が遍在していることは確かなようだ。水は宇宙空間に漂う氷の粒としてだけでなく、熱い星にも水蒸気の形で存在しているし、天王星や海王星のような冷たい惑星にも氷の形で存在していると言われる。これらの惑星は表面は氷に覆われているが、内部に液体の水があると主張する人もいる。水は我々の宇宙においてありふれた物質であり、宇宙空間にも星々にも、いたるところに存在しているのは事実のようだ。

ところで我々の身体はおよそ70%が水でできている。だとすれば遠い昔、宇宙を漂い、時には恒星(太陽)の一部となり、時には惑星の上で海を作り、時には衛星の内部で氷になっていた水が、漂い続けた末に地球の一部となり、いま我々の身体を構成していると考えることもできる。

もし水に記憶力があるとすれば、我々の身体をめぐる水には宇宙の壮大な歴史の記憶が埋め込まれている可能性がある。すなわち我々は宇宙の記憶の塊かも知れないということだ。もし水にそうした記憶力があるとすれば、我々は水から無数のことを学べるのではないか。もしかしたら何億年、何百億年の宇宙の歴史を、科学によらずに知ることが出来るかもしれない。今はまだその記憶を引き出し感知する方法を我々は知らないが、全てが波動であるという見地に立てば、周波数を同調させることによってそれは可能になるのではないだろうか。

ではどうやって自らの周波数を水に同調させることが出来るのか。もし科学がこのことを認め、その実現に動き出したとすれば、またもや機器による手段に訴えるだろう。しかし私はそうした科学機器によってではなく、おそらく心の修練によって初めて可能になるのではないかと思っている。と言うのも江本氏が言うように、我々の心の波動が現実を作り出しているからであり、だとすれば水との親和力も心のあり方によって顕現するだろうからだ。我々が水と繋がる時、現代の稚拙な科学をはるかに超えた智恵を授かることもあり得ないことではないだろう。


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