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先住民の定義

nativeという言葉がある。この原義は「生得の、生まれながらの」という意味だ。ではNative American と言った場合、何を指しているのだろう。日本語には「アメリカ先住民」と訳されるが、果たしてそういう意味合いだろうか。Native Americanという言葉が、白人が来る前にアメリカ大陸に住んでいたモンゴロイド全般を指すのかと思ったらそうではない。この言葉にイヌイットは含まれていない。

改めて考えてみると、そもそも日本語の先住民とはどういう意味なのだろう。この言葉が単純に先に住んでいた人々を指すなら、ある先住民のさらに前に住んでいた人々は何と呼べばいいのだろう。さらにその前に住んでいた人々は? 別に言葉の遊びをしているわけではない。これから述べるように実際に世界の至る所にこうした史実がある。では一体誰が真の先住民と言えるのだろう。この問いを突きつめていけば、地球上の何処に誰が初めて住んだのか、ということになるだろう。しかしそうした問いに現実的な意味があるとは思えない。たとえこの問いに真面目に答えようとしても、おそらく答えられる人はいないだろう。何故なら我々人類は自分たちの遠い過去についてほとんど何も知らないからだ。

学校で教えている『歴史』という架空の物語をそのまま信じている人には無縁の話かもしれないが、現在、進化論、宇宙論、考古学、古代史など、広い意味での歴史が根本から揺らいでいる(進化論、異星人、異星間文明比較の項目参照)。具体的な内容は大変長くなるのでここでは割愛するが、我々人類は自らの出自および古代の歴史について、根本から見つめ直さなければならない時期に来ている。

ところで私が子供の頃、『アメリカ大陸はコロンブスが発見した』と学校で教えられた。戦後長い間、日本中の生徒・学生はそのように教えられていた。ではアメリカ大陸最初の住民はコロンブスとその一行なのだろうか。とんでもない。コロンブスが1492年に90人(120人という説もある)を引き連れて上陸し、入植地を作った。そして翌年1月、39人を残してスペインのパロス港へ帰還し、その年の9月に再び出帆してアメリカに到達すると、彼らが作った入植地は現地人によって破壊され、残してきた39人は全員殺されていた。

先住民の定義もともとアメリカ大陸には白人以外の人間が住んでいたというのは、このようにコロンブスの一行がすでに知っていた。それなのにアメリカ大陸はコロンブスが発見したとはどういう意味なのか。例えば日本列島を、ロシアの誰それが、あるいはオランダの誰それが初めて発見したと言われたら我々日本人はどう思うだろう。日本人は彼らがやって来るはるか以前から日本に住んでいたではないか。これはアメリカ大陸にずっと以前から住んでいた人たちにとっても同じだろう。このような言い方には白色人種の根深い差別感覚が潜んでいると思われる。彼らにとって有色人種は人間ではないので、アメリカ大陸に人間が住んでいたことにはならないのだ。従って初めて発見したのは自分たちだということになる。こうした歪んだ白人の見解から生まれたアメリカ大陸発見というエピソードが、戦後の日本ではそのまま教科書に載せられていた(今も教科書によってはそうかも知れないが)。

さて、ではNative Americanとは一体誰を指す言葉なのだろう。コロンブスは死ぬまで、アメリカを西洋人の知らなかった新大陸ではなく、インドだと言い張っていた。そのため原住民はインド人、すなわちIndian=インデイアンと呼ばれるようになった。しかしもちろん彼らはインド人ではない。

ではインデイアンと呼ばれてきた彼らは一体誰なのだろう。一般には氷河期が終わる頃にアジアからベーリング海峡を渡ってアラスカに入り、南下してアメリカ大陸全土に広がったモンゴロイドだと言われている。これはモンゴロイドが来る以前のアメリカ大陸には人間は住んでいなかったという前提に立っている。しかしこれも果たしてそうなのだろうか。本当にモンゴロイドが入る前、アメリカ大陸には人は住んでいなかったのだろうか。ポーラ・アンダーウッドの書いた『一万年の旅路(原題:The Walking People)』を読むと、とてもそんな単純なことではないのが分かる。これについては後で詳しく述べる。

ところで先住民にまつわる問題はアメリカだけでなく世界中にある。最近は少数民族に対する理解が少しだけ進み、その民族のアイデンテイテイーや文化の独自性を擁護する意見も出てきている。日本ではアイヌ民族がその例だ。彼らは500年前から、彼らの数千年の住処である北海道を和人(日本人)に侵略され続け、さらに明治政府の同化政策によって、言語および文化を徹底的に破壊された。戦後しばらくしてようやく真面目な復興の気運が生まれてきたが、時すでに遅しという感じがある。アイヌの立場から言えば北海道はもともとアイヌのものだと言えるだろう。萱野茂氏が初のアイヌ人国会議員として『私たちアイヌは、北海道を日本人に貸した覚えも売った覚えもない』と発言している。とは言え、アイヌ人が何千年前から北海道に住んでいようと、アイヌ以前に北海道に住んでいた民族はいなかったのかどうかについては明確に答えられる人はいない。

イスラエルはもっと複雑だ。古代イスラエルにダビデやソロモンが君臨したのはおよそ3000年前だ。彼らの死後、国は分裂し、さらにアッシリアやバビロニアに攻められて国は失われた。それはおよそ2500年前だ。戦後現在のイスラエルの地を、ユダヤ人はもともと自分たちが住んでいた土地だと主張し、アメリカなどの後押しもあって建国が実現した。しかしその2500年間、アラブ人などが何十世代にもわたってそこに住みついていたわけで、そこから中東紛争が始まり、いまだに解決の道は見えていない。

ところでそもそも古代にユダヤ人はどうしてそこに住むようになったのだろう。聖書によれば、モーゼがエジプトの捕囚となっていた民を引き連れて脱出し、カナンの地を目指したが、実はそこにはすでに他の住民が住んでいたことが記されている。彼らはカナン人(実際は複数の民族だが)を追い出し、土地を奪ってそこにイスラエル王国を建国したのだ。これも、この部分だけ見ればカナン人がこの土地の先住民と言うことになるが、果たしてそう断言できるのだろうか。カナン人とは現在の学校で教えるフェニキア人のことらしいが、ではそのフェニキア人はいつからカナンの地に住んでいたのだろう。

こう考えていくと、終いには人類の発祥まで遡らねばならないことになる。別に少数民族を軽んじるわけではないが、人類は多勢が無勢を征服し、言語や文化を同化するといったことを限りなく繰り返してきている。したがって誰がその土地の最初の住民なのかということはおそらく誰にも分からないはずだ。だとしたらnativeの民だろうが先住民だろうが、こうした言葉は本当は意味をなさないことになる。先に住んでいたから絶対的先住権があるとも言えないし、だからといって後から来た人たちが暴力的に、あるいは詐欺的手法によって土地を奪う権利もないだろう。

では土地というのは本来誰のものだと考えればいいのだろう。我々を含め地上の全ての生き物は、生まれてきて一定期間どこかで暮らす。そしてやがて地上から去っていく。見方によっては生物は皆、生きているあいだ地上の一部を借りて住んでいるに過ぎないとも言える。人間を含め如何なる生物も地球を自分で造ったわけではないし、そこに自分が初めて住んだという証拠も示せない。これを言い換えれば、地球は誰のものでもないし、したがって自分の住んでいる土地も、お金を払っていようが権利証を持っていようが、本来誰のものでもないことになる。誰のものでものでもないということは、皆のものだということにもなる。皆のものだとしたら話し合って、仲良く住み分けなければならないだろう。

生物学者はテリトリーという言葉を作り出して、下等な生物の多くは自分の生活圏を一方的に主張し、侵入者を襲って追い出そうとする、といったイメージを蔓延させた。これはとんでもない誤解と言わねばならない。生物学者は自分たちが人間界でやっていることを他の生物に投影して、手前勝手な解釈したに過ぎない。こうしたことはテリトリーに限らず、マウンテイングに対しては階級制度、捕食者と被捕食者の関係に対しては弱肉強食といったふうに、彼らは色々な動物の行動に身勝手な概念を押しつけ、傲慢にもそれを学問的解釈だと言い張っている。

実は人間以外の生物は無駄な争いを避けるためにテリトリーを主張しているだけなのだ。猿のマウンテイングも階級社会を作り出しているわけではなく、無用な争いを避けるために集団内の順位を作っているだけだ。最近ようやく一部の学者たちがこのことに気付くようになった。

住み分けというのは、このように様々な生き物が実践している。それと較べると、人間は持つ者はさらに広大な土地を必要もないのに持とうとしたり、使い切れないほどの金を必要もないのに得ようとしたり、他人を殺してまで物を奪おうとしたりする。また肌の色や人種が違うだけで殺したり、中にはただ相手が気に入らないというだけで殺したり、最近は単に殺してみたかったからといって殺す者もいる。生物学者が言う下等動物と人間と、一体どっちが野蛮なのだろう。

初めに先住民だと自認する人々が土地の所有権を主張し、次に強力な武器を持ってやって来た人々がその土地を奪う。そして法律をもって登記制度を作り、奪った土地の所有権に一方的に正当性を与える。こうして持つ者と持たないものが分けられる。一旦こうなると、所有者はまるでその土地が本来自分自身に属していたものでもあるかのように振る舞い出す。

もし地球を造った神のような存在がいるとしたら、地上のこうした様子を見てどう思うだろう。人間は土地を売買し、国境線を引き、時には戦争を起こして土地や国を奪ったりして互いに自分のものだと主張し合う。一体こんな権利が人間に備わっているのだろうか。

ホピ族なら、人は他の生き物や自然と共存して初めて永続的な健全な生活が保障される、と言うだろう。今の時代、多くの人が我欲に囚われ、自分の権利ばかりを主張しているが、そうした自らの姿に目を背けておきながら、愛だの平和だのと言ってもそんなものが実現するはずはない。

先住民あるいはnativeという言葉には、このように本来的な意味はないが、しかしそれだけでは言いっ放しで何の解決にもならないので、最後に私の意見を述べておこう。誰も住んでいない所に開墾などをして住み着いた場合や、何世代にもわたって同じ土地に住んでいる場合は、道義的に先住権があると看做してもいいのではないかと思う。脅しや買収、暴力的な略奪を防ぐには、そうした最低限の基準が必要だろうと思う。そしてその基準に対する世界的な合意も必要だろう。


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