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南米大陸のニグロイド

古くから世界中の国々に漂着民がいたことが知られている。「おろしあ国酔夢譚」という映画にもあるように、日本の太平洋沿岸からカムチャッカ方向へ流された人々がいた。また太平洋をさまよって見知らぬ島にたどり着いた人々もいた。幕末のジョン万次郎(本名:中濱萬次郎)とその仲間は、5日半さまよった末に無人島の鳥島に漂着した。そこで143日間過ごした後、たまたまアメリカの捕鯨船に発見され救出された。また今から数年前にアフリカの舟が漂流し、3週間漂った末にブラジルにたどり着いたという報告もある。大昔から世界中の海岸線には漁を生業とする人々が住んできたのだから、こうした悲劇は何度も繰り返されたに違いない。

しかしオーストラリアから南米大陸へ太平洋を渡ったアボリジニがいたと仮定すると、彼らはアフリカからブラジルに渡る大西洋の横断よりもはるかに大きな距離を渡ったことになる。漂流か新たな土地を求めての航海かは分からないが、果たしてそんなことができたのだろうか。しかし南米大陸で人類が生まれたのではない限り、また南米大陸に黒人種がいた証拠が残っている限り、何らかの形で渡ったと考えなければならない。これについてもう少し詳しく述べよう。

ブラジル北東部のセラ・ダ・カピバラという渓谷に洞窟がある。そこには何千という岩絵が描かれている。何を描いたのか解るものもあれば、意味不明のものもある。この地で発掘を行なった考古学者は4万年前の地層から石器を発見し、さらに5万年前の地層から炭と動物の骨、そして炉のようなものを発見した。これは明らかに知的生物が住んでいた証拠であり、モンゴロイドがアメリカ大陸にやってくる遥か以前に人と思われる生物がいたことを意味する。モンゴロイドがアメリカ大陸にやってきたのは12000年前から9000年前にかけてだと言われている。それよりも4万年以上も前に、すでにこの謎の人々は住んでいたことになる。一体彼らはどこからやって来た何者なのだろう。

この謎を解く手掛かりが、ブラジルの北東部と南東部の洞窟で発掘された多数の人骨によってもたらされた。これらの人骨(特に頭蓋骨)を調べた結果、この人々がモンゴロイドでもなくヨーロッパ系の人々でもないことが明らかになった。復顔の専門家がその中の最も古いルシアと名付けられた頭骨を選んでレプリカを造り、その上に粘土を塗って顔を復元した結果、彼女がニグロイドだと解った。

ニグロイドは現在でもアフリカに住んでいるが、およそ10万年前、その一部はアフリカを出て北に向かい、地中海沿岸にたどり着いたと考えられている。そこから二手に分かれて、一方は西のヨーロッパ方面に向かい、もう一方は東のアジアに向かったと言われている。さらに東に向かった人々のうち、一部は南下してインドまたはマレーシア半島を経てスンダランドに辿り着き、さらにその一部がオーストラリアに渡ったと考えられている。

この人々は今のアボリジニであり、6万年前にオーストラリアに辿り着いたらしい。この間数万年の時が過ぎており、さらにアフリカとは違う環境を経てきたため、元のニグロイドとは多少の違いが起きていた。この人々の中の一部がさらにオーストラリアの東へ向かい、海岸に住むようになった。そして彼らの何人かが、何らかの理由で舟で南米大陸にやって来た、というのが新しい仮説だ。先に述べたオーストラリア内陸部の舟の岩絵もこのことを傍証している。ブラジルで発見された多数の人骨は、完全なニグロイドではなく、アボリジニとニグロイドの両方の特徴を備えているのはこのような経緯によると考えられる。

ところでここに奇妙な符合がある。このブラジルの北東部と南東部の洞窟で発見された、ニグロイドの特徴を持つ人骨の年代は12000年前から9000年前のものなのだ。この時期はモンゴロイドがシベリアから、陸続きとなったベーリング海峡を越えてアラスカに入り、アメリカ大陸全体に広まった時期でもある。これは何を意味しているのだろう。

モンゴロイドの人骨や遺跡は12000年以上前のものは何一つ発見されていない。それには理由があると言われる。12000年以前にはアラスカからカナダ一帯を氷河が覆い、アジア側からアメリカに陸伝いでやってくるのは不可能だったと考えられるからだ。しかしこれ以降、温暖化によって氷河の間に隙間ができて、そこを通って南部の温かい地域へ渡るのが可能となった。これを機に、モンゴロイドは断続的に流入したというのだ。

その後わずか3000年の間に、モンゴロイドは南北アメリカ大陸全体に広がったと考えられている。したがってモンゴロイドの化石は12000年以降の地層からは発見されるが、それ以前の地層からは一つも発見されていない。一方ブラジルで発見された多数の人骨はこの時期、すなわち12000年前から9000年前のもので、これ以降彼らの人骨は全く発見されていない。もうお気付きだろう。アメリカ大陸にモンゴロイドがやって来た時期と、南アメリカでニグロイドが絶滅した時期がぴたりと重なるのだ。

南米大陸のニグロイド普通に考えれば、これはモンゴロイドによってニグロイドは絶滅させられた、と解釈できるだろう。直接的な証拠はないが、そう考えれば辻褄が合う。ただ5万年以上前からいたと思われるニグロイドが、何故4万年後、僅か3000年の間に滅んでしまったのか疑問は残る。単純に推理すれば、ニグロイドは4万年ものあいだ平和に暮らしたため武器は持たなくなっていた、というものだろう。そうしたことはあり得ないことはない。日本の縄文人も戦いのための武器は持っていなかったと考えられているし、インダス文明においても外敵に備えるような武器は発見されていない。

我々が学校で習うのは血塗られた歴史の記録だ。すなわち支配者の交替と戦争を中心に構成されたものだ。それは大多数の人々が日常を営み、伝統や祭事を守り、文化に勤しんできた歴史的風景とはかなり乖離している。歴史時代以降は確かに戦いは起こっていた。しかしそれが果たして歴史の中心的な事象なのか疑問は残る。先史時代まで遡れば、戦いのない平和な時代が当たり前のようにあった可能性がある。今言った日本の縄文人や古代インダス文明の人々、またアメリカ大陸のホピ族やイロコイ族などだ。彼らに狩猟のための武器はあっても、人を殺すための武器はなかったと言われている。それは限られた地域の、一定の期間だったかもしれない。しかし実際に戦争のない世界があったとすれば、我々の人類に対する考え方は大きく変えられる可能性がある。それは次代を担う世界中の子供たちにとっても一つの希望となり得るだろう。

それはそれとして、ニグロイドが南米大陸にいて平和に暮らしていたのは間違いないようだ。しかし今言ったように12000~9000年前の3000年の間に絶滅したと考えられている。もう彼らの手掛かりは完全に消え失せたのかと思ったら、その子孫と思われる人々が近年までマゼラン海峡に面する島々に住んでいたということが分かってきた。彼らはニグロイド系の顔をしていて、モノクロだがその映像も残っている。彼らは狩猟採取の生活を送っていたが、スペイン人の侵略によってほぼ絶滅したという。

彼らは実はアボリジニの直接の子孫ではなく、アメリカ大陸にやって来たモンゴロイドと混血したために生き延びることができた人々ではないかと考えられている。おそらく彼らは寒い南へ南へと逃れ、フエゴ諸島に移り住んでいたのだろう(フエゴ諸島は南米大陸と南極大陸の間にある)。しかしそこにもモンゴロイドはやって来て男たちは殺され、女たちは敵の男たちに所有され身ごもることによって生き延びたのだと思われる。この混血した人々が後々までニグロイドのDNAを残して生き延びていたらしい。

しかしそれからおよそ9000年経って、ヨーロッパから白色人種がやって来た。彼らは現地の人々を、自分たちの伝統の的な遊びである『狩り』の対象にして殺した。またキリスト教の教会が建てられると、そこに女たちを連れて行って習い物などをさせた。この接触によって風邪や天然痘など西洋人が持ってきた病原菌に現地の人々が感染し、先天的にそうした病原菌に対して抵抗力を持っていなかった現地人はほぼ全滅してしまった。

今や渓谷に遺された数千の岩絵と彼らの骨を除いて、南米大陸の黒人種の生活や文化を知る手掛かりはない。もしこれらの種族が絶滅せず、伝承を担う人々が生きていたとすれば、何万年という彼らの歩みは様々な形で知り得たかもしれない。しかし彼らもまた、地上で消えていった数多くの他の種族のように、その歴史は誰にも語られることなく時の彼方に消えていった。

今後我々の期待できるものがあるとすれば、考古学者によるさらなる発掘と、メキシコに残されたオルメカ文明の人頭石と黒人種との関連だろう。謎の人頭石は大小様々な球体のような石だが、みな人の首から上だけを象(かたど)っている。その顔が実はニグロイドの特徴を備えていて、いったい何者をモデルにしたものなのか全く分からないでいる。もしこれが9000年以上前のニグロイドと関係しているのなら、我々の疑問を解く一つの鍵になるかも知れない。


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