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歩く民―海の渡り

一族は朝鮮半島の根元と思われる土地を離れ、持てるだけの水を持って砂漠と草原を突っ切る決意をした。一人の女が『自分の兄弟の話では、歩いた末に草があると言っていた。草原があれば水源もあるのは道理だ』と言い、付け加えて、北の果てで『海の渡り』が出来るかどうか確かめたいと言った。一族はこの女の言葉に希望を託すことにした。

彼らは途中で何人もの仲間が大地にじっと横たわるのを見なければならなかったが、残りの者は何とか砂漠を抜けることができた。さらに砂漠の先の草原では馬に乗った二つ足に、持てる物を何もかも奪われるという不幸にも遭遇した。とはいえ彼らは全員の死という、最も恐ろしい結果を迎えることなく砂漠も草原も渡り切り、水源にたどり着いた。

(この北行きを提案した女の兄弟が、草原の果てまで行って水があるのを確かめていること、また『海渡り』が出来るかどうか確かめたいと彼女自身が発言していることを考えると、当時すでにかなり広範囲にわたる地理的情報がもたらされていたのが分かる。これは他民族との接触によるとも言えるが、他の高度なテクノロジーを持つ民族や異星人の関与も可能性としては考えられる。何故なら何十万年、何百万年前の地層から、現代文明を凌ぐたくさんの遺物が発掘されているからだ。それらが高度な先史文明の残滓だとすれば、多くの歴史の謎が解けてくる。

また一族が馬に乗った二つ足に襲われたとあるが、すでにこの時期に騎馬民族が存在したことを示しており、これは驚きだ。彼らは果たして後に現れる、我々の知っている国家というものすでに持っていたのだろうか。それとも部族的な集団に過ぎなかったのだろうか。いずれにしてもこれが1万年前の歴史の事実だとすれば、学問的に貴重な資料だと言える。)

一族はベーリング海峡に近づく途中でまた別の民族と接触した。彼らから、東の北の東は陸地が海に挟まれて細くなり、遥か彼方まで続いていると聞かされた。そしてその向こうに大いなる島があるだろうと。一族はやがてその細い陸地を見つけることが出来た。そして渡りの前にその場に逗留して中つ火を焚いた。

するとある日、悲しみに暮れた一人の男が彼らのところへやって来た。男の話によると、彼の一族は海渡りに失敗し、彼を残して全員が命を落としたと告げた。海渡りの途中で嵐がやって来て、岩に身体を縛り付けたが次々と波に吞まれてゆき、また岩に身体を縛りつけたまま亡くなった者もいて、気が付けば生き残ったのは自分だけだったと言った。

(この男の話から、氷河期がすでに終わりに近づき海水面が上がって、ベーリング陸橋が水没しつつあったことが分かる。したがってそれ以前に多くの種族がすでにアメリカ大陸に入っていたとも考えられる。一般には、氷河期にはベーリング海峡は陸続きになっていたが北アメリカの北部は厚い氷に覆われていたため、アジア側からアラスカを通ってアメリカに至るのは不可能だったと考えられている。そのため渡りの時期は氷河期の終わりだと言われている。しかしこの一族が渡ろうとした時期を学術的判断から約1万年前とすれば、それよりも数千年、あるいは数万年前から人々が渡っていた可能性もある。何故なら学問的に言われている最終氷河期は約7万年前から1万年前までだが、何故かアラスカと東アジアは、高地以外は氷河化していなかったと言われているからだ。)

歩く民―海の渡り一族はこの男の話を胸に刻んだ。しかし海渡りを諦めはしなかった。彼らは食物を蓄え、着る物や水袋など必要な物を揃えて海渡りに備えた。また彼らは一族を繋ぐ太く長い縄を縒(よ)り、また皆の先を行って道を定める『二人の強い男』を結ぶ短い縄や他の細くて短い縄を縒った。一族の中で荷物を背負う力のあった者は35人、そこまで力のない者が17人、この力のない者のうち3人は誰かに運んでもらわねばならなかった。

(3人は乳幼児を指していると思われるが、彼らはわずか52人の集団だったことが分かる。)

さて先頭に二人の強い男が水のかぶる岩場を確かめながら道を示して進んでいった。その後ろに長い綱に繋がる他の者が続いた。彼らはいくつもの岩を超えたが、しかしついに深い水の前で立ち往生した。二人の強い男は向かいの岩まで縄を持って泳いで行ったが、そこは平坦な岩場で、縄を固定する突き出た岩はなかった。そしてその岩場の向こうには、さらに深い水が横たわっていた。

一族の他の者は波にさらわれないよう、身体を岩に縛り付けて手前で待った。その時、隊列の最後尾にいた男が手を貸しに一番前へ行き、二人の強い男と三人で、ついに水の中に立つ岩に縄を縛り付けた。そしてこの男は最後尾に戻り、6メートルもある岩の柱に登って縄を固定した。一族はそれを見て絶望が希望に変わったことを知り、鬨(とき)の声を上げた。

二人の強い男は短い縄で互いの身体を結び、さらに水中の岩からもう一つ向こうの断崖の島へ泳ぎ切って縄を繋いだ。二人を結んだ短い縄は、一人が波にさらわれても、もう一人が力いっぱい引きよせて助けるためのものだった。それを使って何度も助け合いながら、絶壁の島へ辿り着いた。

人々は荷物を背負い、または乳飲み子を抱えて、最初の縄を伝って空中を降りて行き、そして平らな岩の横の水中で次の縄を掴んで、荒れ狂う大きな水を渡って行った。ついに最後尾の男が縄を高い岩から解くと石で挟んだだけにして、その縄を伝って水中に達し、最初の岩場に上がった。そして二人の強い男と共に、思い切り縄を引いて石で押さえた縄を手繰り寄せた。

このようにして全員が、一人も欠けることなく深い二つの水を渡った。断崖の下へ辿りついた一族は足の利く者は自力で、利かない者は縄で釣り上げてもらって無事大きな島に上陸できた。

この大いなる挑戦とその成功は、彼らの誇りとして一族の伝承に加えられ、子供たちの子供たちの子供たちへと語り継がれることになった

(このような具体的なベーリング海峡の渡りは、どんな書物にも記されていない貴重な記録と言える。歴史の教科書には、氷河期の終わりに陸橋となったベーリング海峡を原始人が獲物を追ってアメリカ大陸に渡った、と書かれているだけだからだ。)


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