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歩く民―東へ

覚悟を決めて乾きの地に入った一族は、命を懸けた行進を続けた。しかし予想に反して、彼らはわずか10日でその地を脱出した。この意外な結果に、一族は後悔の念に苛まれることになった。その程度の乾きの地の行進なら、短い足にも可能だったからだ。しかしその重苦しい気持ちを抱えながらも彼らは歩まねばならなかった。

一族は再び果てしない山並みを越え深い谷を渡り南下していった。だがこの先の一定の期間に関してはほとんど何も伝えられていない。大きな変化がなかったためかも知れないし、伝承が途切れる何らかの理由があったのかも知れない。しかし実際どうだったかは分からない。したがってこの間、一族がどれだけ南へ進み、あるいは東へ進んだかは判断つかない。その間にあったことが残され、伝えられているのは二、三の事柄だけだ。

一つは以下のような伝承だ。食料が減ってきて食べ物を探しながら進んでいた一族は、ようやく木苺を見つけた。彼らは大量に採ったが、果たして食べられるのかどうか判らなかった。しかし当時一族の中に『先を見通す男』と呼ばれる者がいて、彼が見通したところ、未来に一族が笑顔でいる姿が見られたのだった。それを聞いた者たちは安心して木苺をたらふく食べた。しかしもっと慎重な者たちは木苺を口にせず、じっと空腹に耐えていた。結果は恐ろしいものだった。

この新しい食べ物を貪った者たちは、やがて地面の上でのたうちまわることになったのだ。木苺に手をつけなかった者たちは沢から水を運び、のたうつ者たちにそれを飲ませて何度も吐かせた。しかし最後には痛ましい光景が広がった。一族の多くの者が大地にじっと横たわってしまったのだ。そして自分の吐いた水の中で未だのたうちまわる者は、『大いなる沈黙=(死)』を願って叫んだ。

(このエピソードは植生の違う新しい土地で食べられるものと食べられないものを区別するのがいかに難しいことかを伝えている。人類の遠い祖先はこうしたことを繰り返してきたに違いない。)

歩く民―東へいくつもの冬が去って先を見通す男は今や白髪となっていた。その間彼は一言も言葉を発することはなかった。彼は自分が見た未来を一族に語ることによって、多くの命が失われたことを悔やんでいたのだ。やがて一族は南に立ち塞がる大きな山にぶつかった。多くの日を歩き続けた彼らは、元気を回復するためにそこにしばらく留まることにした。だがここで『先を見通す男』がようやく言葉を発した。「ここだ、わしがかつて予見したのはこの山の麓だ」。彼の目からとめどない涙が溢れていた。彼は皆に告げた。自分が見た予見の場面には、苺を食べなかった者たちの髪が白くなった姿しかなかったこと、すなわちその中に苺を食べた者は一人もいなかったことを。そして自分のような予見の力を持つ者は、その解釈についての責任を負い続けることなく、一族に予見を託するという愚を犯してはならないと告げた。

(これは現代にも当てはまる教訓と言えるだろう。昨今、神や異星人からメッセージを受け取ったと言って、講演や書物の形で一般の人に伝える人が世界的に増えている。イロコイ族に営々と語り継がれたこの出来事は、メッセージを語る者も聞く者も、その解釈の可能性について幾通りも考えてみる必要のあることを伝えている貴重な教訓だと言えるだろう。)

もう一つ重要な口承が残っている。読者はこれを何だと思うだろうか。アンダーウッドの文章をそのまま紹介しよう。

『この谷あいの盆地に、それまで一族に伝わっているどんな二本足ともかけ離れた民が現れるようになった。彼らはばらばらに旅をし、時々二、三人の小集団で姿を見せた。この者たちはたいそう背が高く、多くの者が一族と同じか、それ以上の背丈だった。しばらくの間はこの者たちはたまにしか姿を見せず、見せてもすぐに立ち去った。』

『そして当時彼らがわれらと同じように毛皮をまとっているのか、あるいは彼ら自身がもともとそういう毛深い姿なのか、われらにははっきり確かめるすべがなかった。・・・・・・・ところが最後には、この毛深い状態は彼らの元々のものであるのが分かってきた。』

(これは近年北米のロッキー山脈で話題になっているビッグ・フットのことだろうか。ヒマラヤでは古くから目撃例があり、日本では雪男と呼ばれてきた。もしこの伝承が北米のビッグ・フットのことだとすれば、彼らは遠い昔から存在していたことになり、人類にまつわるもう一つの系譜とも考えられ、学問的に貴重な情報となるだろう。)

このビッグ・フットと思われる者たちは、一族の中で子供を宿していない女がいる時に限って現れるようだった。しかし彼らは接触を求めるようで接触してこなかった。一族の男たちは警戒心を強め、対策を話し合ったが、そのうち別の状況が彼らとの関係を終わらせることになった。というのもこの時期、冬ごとに寒さが募り雪が多くなってきたため、一族は長く住みなれたこの盆地を立ち去る決意をしたからだ。

一族はさらに東へと旅立った。そしてそこで巨大な草原に遭遇した。それは行けども行けども背丈を超える草の海だった。その中を、彼らが『大地の雷』と名付けた地響きを立てて動き回る四つ足が徘徊していた。この巨大な群れをなして嵐のように押し寄せる四つ足を、一族は『黒い大海』と呼んだ。この黒い大海はその蹄で全てをなぎ倒し、押し潰し、しかもその草さえ食べ尽くしてしまうのだった。

(この黒い大海はバイソンの群れだと思われる。当時の有り余る食料であった広大な草原を、巨大な群れをなして徘徊していたのだろう。)

一族はこの草の海の中に一旦は入ったものの、丘陵地帯に退いてそこ留まり、黒い大海についてじっくり観察した。また果ての見えないこの草原をどのように渡ったらいいかを何年も費やして考えた。その間一族は他のいくつかの民と接触した。それらの民は黒い大海を追い込んで崖から落とす方法を心得ていた。けれども彼らは種を植えて栽培することはせず、バイソンの肉と、植物の採取で糧を得ていた。

(具体的なことは述べられていないが、ここでも一族は他の民から、自分たちとは違う多くのことを学んだと思われる。)

そしていよいよ草の海の渡りを決行することになった。しかしここで『かぼちゃの花』と呼ばれる智恵ある女が、自分は東ではなく南へ行くと言い出した。話し合いの結果、三人に一人がかぼちゃの花と共に南へ向かい、三人に二人が東へ向かうことになった。アンダーウッドの遠い祖先は東へ向かった集団に属していた。

(これで一族が別々の道を歩むことになったのは三度目になる。一度目は朝鮮半島の根元で地震と津波に合い、一旦逃れた砂の地から去る時に南と北に分かれた。二度目はカナダの太平洋岸から旅立つ時に足の長い者は東へ、赤子と共に年老いた者は南へと分かれた。そして今、草の大海を渡ろうとする者と、さらに温かい南を目指す者とに分かれることになった。

いくつの月が廻ったか分からなくなるほど彼らは歩き続けた。夜に備えて少し高い丘を探し、草を踏み倒して寝床を作った。そして松明を焚いて見張りを立て、バイソンの襲来に備えた。誰も休みや寛ぎ、腹いっぱいのことを口にしなかった。それらは森の木陰にしかないことを皆が知っていたからだ。こうして誰も月の廻りの数を憶えていないほど歩き続けた後、ついに草の海を脱して山並みへと辿りついた。

(この草の海はロッキー山脈の東側、ミズーリ州からミシシッピ州にかけての広大なプレーリー(=大草原)だったと考えられる)


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