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新世界秩序.3

さて『ユダヤ議定書』には、この『世界革命行動計画』よりも遥かに詳しく人類家畜化計画が記されている。この文書は正式には『シオン賢者の議定書』といい、1890年代末から1900年にかけてロシアで出版された文書だ。現在ではこれはロシア帝国・内務省警察部警備局が捏造したものだとされている。しかしそれが事実かどうか議論するのはあまり意味がない。何故ならこれが書かれてから110年以上経った今、その内容の多くがすでに現実のものとなっているからだ。

この文書には、すでに各国の新聞社は彼らの手中にあり、各国の首脳もすでに彼らの傀儡であると書かれている。ラジオ放送が行なわれるようになるのは1920年以降だから、当時はまだ公共の電波はない。そのため新聞は絶大な力を持っていた。しかしそれがすでに闇の支配者の配下にあったとすれば、彼らの計画がその後も順調に進められていったことを示唆している。

新世界秩序.3この通称『ユダヤ議定書』には「本当は人間は自分たちユダヤ人だけで、ユダヤ人以外の家畜に人間の顔を与えているのは、自分たちが見た時に不快感を覚えないためだ」とまで書かれている。またこの非ユダヤ人は全く考える力がないので、洗脳するのに難しいことはないという。愚衆は単にマスメデイアを使って何度も報道すればどんなことでも信じるようになる、と言っている。現在のテレビ番組やコマーシャルを多くの人が何の根拠もなく信じている状況を見れば、ここに書かれていることが現実となっているのを認めざるを得ない。

最後に新世界秩序を標榜したと思われる聖書について話をしよう。上手く洗脳されてキリスト教の一派を信じるようになってしまった人たちは、自分たちの宗派が世界中で信じられるようになれば、平和で愛に満ちた素晴らしい世界が到来すると思っているのだろう。しかし私からすれば、何てお人好しで能天気で愚直な人たちだろうと思ってしまう。人間や社会がそれほど単純ならば、何千年も前にすでにこの世は平和で愛に満ちたものになっていたはずだ。

カトリックの総本山バチカンは国連と同じように、一つの政府、一人の支配者によって全世界を治めることを目標としている。国連は民主主義の名のもとに世界中の国境を取り払って一律統治することを目指しており、人間牧場が出来上がった末には闇の支配者が初めて表に出てきて国連から、恐怖政治によって世界を支配することになるという。同じようにバチカンは神の名を騙(かた)り、宗教を利用して世界中の国境を取り払い、神の代理人を公言する法王が何でも言うことを聞く小羊たちを牧場に追い込んで、これもまた恐怖政治によって支配することを目指しているという。この二つの組織は見かけは全然違うように見えるが目指すところは同じで、『人間牧場』が完成した暁には正体を現して合体するだろう。でなければどちらかがどちらかを戦い取って飲み込むだろう。

新約聖書について言えば、元々存在したかどうかさえはっきりしないイエスの言動を記したものだが、そのイエスに従った十二使徒の中のペテロを、バチカン(カトリック教会)は初代法王に祀り上げている。それはマタイ伝の記述に従ったものだ。イエスは次のように述べている。

『あなたはペテロである。そして私はこのケファ(岩)の上に私の教会を建てよう。黄泉(よみ)の力もそれに打ち勝つことは出来ない。私はあなたに天国の鍵を授けよう』

イエスがこの時ペテロを岩(ケファ)と呼んだので、これ以降ペテロは岩というあだ名で呼ばれるようになったという。カトリックはこの文章を根拠にして、ローマで亡くなったとされるペテロに因み、バチカンに教会を建てた。ここの有名なサンピエトロ大聖堂のサンピエトロとは、聖ペテロという意味だ。

彼が書いたとされる『ペテロ第一の手紙』および『ペテロ第二の手紙』について言うと、まず彼はもともとアラム語を母語とする一介の漁師であり、そのペテロがきちんとしたギリシャ語でこれらの文書を書いたとは思えないという意見がある。そう疑ってしまえば、ヨハネ伝やマタイ伝についても同じことが言える。ペテロだけでなくヤコブもヨハネも一介の漁師で、いわば十二使徒は皆普通の民間人であり、特に博学だったとは言い難い。したがってこれらの福音書は使徒が書いたのではないかもしれない。たとえ彼らの言葉だったとしても、それを他の誰かがギリシャ語に直して書いたのかもしれない。最近はそういう説も確かに出てきている。後にカトリック教会が彼らを聖人に昇格させるのには、何か特別な意図があっと考えた方が自然だろう。すなわちこの二つの手紙は、何者かの何らかの意図によって偽造されたか、または改竄されたものだと考えた方がいい。

このように考えてくれば、聖書全体が怪しげな書物ということにもなる。これは私が初めて言ったわけではない。すでに何人もの研究者が指摘している。旧約聖書もこれと同様で、『出エジプト記』に出てくるモーゼの出生の秘密および王家に拾われて育てられるストーリーは、オイデプス神話をはじめ、地中海沿岸地域やメソポタミア全域に伝えられる伝説の多くに語られている内容と同じだ。

デーヴィット・アイクによれば、そうした数ある伝承を一つにまとめて、民族の宗教に利用したのがこの出エジプト記だという。

聖書を実際に記したのは誰なのかは文書ごとに筆者が違うこともあり、確かなことは解っていない。特に『詩篇』はダビデやソロモンやモーゼなど、詩ごとにそれぞれ説がある。突飛に聞こえるかもしれないが、聖書全体を通じて異星人やUFOを思わせる記述も随所に出てくる。このことを考えれば、何らかの地球外生命体の意図が働いていることも否めない。そうした記述を二、三挙げてみよう。

『その頃、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘のところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、名の知られた人々であった』(創世記)

『(神は)昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照らし、昼も夜も彼らを進み行かせられた。昼は雲の柱、夜は火の柱が民の前から離れなかった』(出エジプト記)

『私が見ていると、見よ、激しい風と大いなる雲が北から来て、その周囲に輝きがあり、たえず火を吹き出していた。その火の中に青銅のように輝くものがあった。......生き物の頭の上に水晶のように輝く大空の形(ドーム型?)があって、それらの頭の上に広がっている。......それらの頭の上の大空の上に、サファイアのような位の形(椅子?)があった。またその位の形の上に人の姿のような形があった』(エゼキエル書)

まだまだあるがとりあえずこれだけにしておこう。今の時代の人がこれを読めば、ロケットやUFOや異星人だと思うだろう。当時はそういう概念がなかったので、そのまま描写したということだろう。また彼らにとって動くものは全て生き物なので、飛行物体も生き物として記述している。

もし地球外生命が関与しているとすれば、最近話題になっているモーゼ五書に隠されている暗号も彼らの仕業だと推測できる。出エジプト記などにある繰り返し表現はモーゼ五書の中にしばしばみられるものだが、それは暗号としての意味を保たせるために必要な処置だったのかも知れない。

新世界秩序.3聖書は何百年、あるいは何千年にも亘って書き続けられたために、その時代時代の権力者やラビ(ユダヤ教の祭司)によって多くの改竄が行なわれたことは想像に難くない。旧約聖書の創世記や出エジプト記を読むと、特に意図的な改竄があっただろうことは、いかに人間が初めから愚かで罪深いものであったかを執拗に強調していることからも推測できる。

旧約聖書における長大な人類の物語は、イブが禁断の木の実を採って食べ、アダムにも勧めて食べさせ、それによってエデンの園を追われるという、いきなり楽園追放というドラマから始まっている。そしてエデンから追い出された後、二人は子供を儲けるが、これもまた兄のカインが弟のアベルを殺すという残虐な事件が続いてくる。キリスト教徒によればこれが人類最初の殺人事件だそうだ。すなわち聖書を信じる者にとって、我々人類はカインの末裔、すなわち殺人者の子孫ということになる。

新約聖書のイエスの言葉を考えてみても、彼の深い内省から出た言葉と、誰かが意図的に語らせた言葉とが混在しているので戸惑うことが多々ある。ただ全体としては、彼は世の終わりの時が近いことを力説し、それに備えて心を入れ替えるようにと人々を説得している印象がある。

しかしイエスが終末を唱えてからすでに2000年が経っている。これをどう解釈すればいいのだろう。おそらく闇の勢力はグローバル化して世界が一つになるにはそれなりの時間が必要で、ヨーロッパ周辺の人々だけを牧場に追い込んでも彼らの計画は成功しないのを知っていたのだろうと思う。現在キリスト教はアフリカで広がりをみせている。アフリカは信者獲得可能な最後の地であり、これがキリスト教にとって最後の仕上げということになるだろう。これは逆に言えば、終わりの時が近いことを意味している。

旧約、新約を通じて聖書は終末について何度もいろいろな形で述べているが、その一番最後にある黙示録では、人類に降りかかる恐ろしい災難のことがこれでもかこれでもかと述べられている。そして最後には何と、人類が絶滅するような表現で終わっている。

聖書という分厚い書物はこのように最初から異様に暗く、途中も決して明るくなく、最後も異様に暗い預言で終わっている。私に言わせれば、こんな絶望的な経典をもってして、キリスト教はよくぞ世界宗教になれたものだと思う。この宗教が世界宗教になったこと自体、イエスの奇跡にも引けを取らない奇跡のような気がする。アルチュール・ランボーの詩にこんなのがある。

『キリストよ、おおキリストよ! 
あくことをしらぬ歓びの大泥棒よ!
二千年ものあいだ恥と頭痛で、
乙女たちの苦しげな額を大地に釘づけにし、
動顚した闇色の生涯を無駄に犠牲にした陰険なる神よ!』

聖書は大本の神から離反し、自分たちだけで人類を支配しようと目論んだ神々=異星人が、地上に闇の支配者を作って、数千年の時をかけて『人間牧場』を実現するために進めて来た計画の書である可能性がある。映画『ダヴィンチ・コード』では、イエスがマグダラのマリアと交わってできた子供およびその子孫を密かに守り続けてきた集団があると表現されている。しかしこれもイエスの真実を隠すための闇の支配者の画策だと思われる。真相はもともとイエスは闇の勢力の実行部隊の一人であり、遠い未来、すなわち現代に、数十億の人々を彼らの言いなりにさせるための遠大な計画の一端を担ってきた人物ということではないだろうか。

実は新世界秩序を標榜する者たちは聖書の記述通りに事を運ぶために、古代から人類の歴史を操り、戦争を操り、革命を操り、近代化を操り、経済を操って、人類の新しい世界、すなわち『人間牧場』の実現に向けて計画を遂行してきた者たちなのではないだろうか。

聖書は多くの信者(ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒)および一般の人々が予言の書だと思っているが、私が思うにはそれは真実ではなく、聖書に書かれてあることを実行に移す部隊が古代からいて、数千年に亘って多くの人が関わり、その実現のために画策してきた、すなわち指示書だったと思われる。これは私が初めて言ったのではなく、かなり以前からそうしたことは噂されてきた。今それが単なる噂の領域を超え、様々な情報によって事実として捉えられるようになってきている。


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