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近代における自由の概念

洋の東西を問わず中世は封建的な身分制度が一般に存在した。この制度に風穴を開けようと企んだのが闇の勢力だった。国家を持たず、軍隊も持たない闇の勢力が、数千年の歴史をかけて世界支配の策略を練ってきて、その結実として彼らが実現したのが、一つは社会主義革命であり、もう一つは金融システムを伴った資本主義経済体制の樹立だった。

中世は世界中に王国が乱立し、互いに領土の奪い合いに躍起になっていた時代だ。闇の勢力にとってそれらの王国や封建領主は、自分たちの言いなりにならない邪魔な存在だった。したがって彼らは着々と王制と封建制度崩壊に向けた計画を練っていたが、各国に自分たちの傀儡政権を打ち立てるには、とりあえず王権国家を潰すことが必要だった。その目的達成のために使われたのが『自由』という言葉だった。

王制国家を倒すためにとられた典型的な手段は、今や誰でも知る社会主義革命だった。彼らはレーニンや毛沢東などに資金を援助して社会主義革命を有利に導いた。一方革命家やその考えに賛同した兵士たちは、祖国解放と階級闘争勝利のスローガンを掲げて行動を起こしたのだったが、実は一番彼らを動かしたのは自由という言葉だった。これは平等という言葉と共に、彼らの心を酔わせた。すなわち多くの革命家と勇気あるその賛同者が命を投げ出すことも厭わず戦ったのは、社会主義や共産主義革命のためではなく自由を得るためだった。

しかしこの自由は、夢見ているうちが花だった。多くの勇気ある者たちが血を流して勝ち取った社会主義革命だったが、いざ社会主義国家が成立してみると、あの甘い香りのする自由はどこにもなかった。彼らはやがて革命によっても自由はもたらされなかったことを悟るが、それでも大多数の人々は本当の自由がどこかにあるに違いないと、再び夢を見始め、今度は社会主義体制が崩壊するのを待ち続けた。ロシアでは70年後、社会主義体制は崩壊したが、自由という幻想に浸れたのはゴルバチョフからエリツィンに至る一瞬だけで、その後KGB(ソ連国家保安委員会=情報機関・秘密警察)出身のプーチンが大統領になると、再び徹底した管理社会となっていった。

北朝鮮や中国といった社会主義国でも、移住や言論の自由は認められておらず、共産党員や役人が賄賂という形で一般庶民から搾取を行なっていて、社会主義が目指した自由と平等などどこにも見当たらない。それもそのはずで、闇の勢力はそんなものを一般庶民に与えようとは思っていなかったからだ。というより、心地よい響きを持った『自由』など存在しないのを闇の勢力は知っていて、人々を操るために喧伝(けんでん)しただけだったからだ。

そもそも自由とは一人だけか、あるいは一握りの絶対的権力者が手に入れて初めて行使できるもので、多くの人が同時に手に入れたり、同時に行使できるものではない。にもかかわらず闇の勢力は、自由が多くの人々が同時に得られるものであるかのように一般庶民を洗脳した。その結果、革命戦士は命をも投げ出して旧体制の国王軍と戦った。彼らはその戦いに勝利することが自由へ至る道だと思ったからだ。これによって歴史の流れは闇の勢力の思惑通りに展開し、彼らの言うことを聞かない王国は次々と地上から消えていった。

また闇の勢力は社会主義国家と対峙する資本主義経済体制の国家に、『民主主義』という幻想を植え付けた。彼らは様々な手段を使って、一般庶民も自由の証としての投票権を持つことができると宣伝し、議会制民主主義をはびこらせた。これによって闇の勢力は議員や首相や大統領を金と暴力(暗殺や脅し)で操れるようになった。そして一般庶民には、ようやく自らの意思で被選挙人を選べる権利と自由を獲得した、と洗脳した。

闇の勢力が議会制民主主義を根付かせようとしたのには次のような理由がある。『ユダヤ議定書』の一文を引用しよう。

『議会制民主主義によって世の中はますます悪くなる。何故なら一般庶民は必ず正しい者より間違った者、利口な者より馬鹿者を選ぶからだ』

これが闇の勢力が議会制民主主義を根付かせようとした理由だという。闇の勢力にとって世の中に自分たちの陰謀に気付く者が現れては困るので、指導者は常に『馬鹿者』で『小心者』にしておかなければならなかったということだろう。

こうして彼らは世界を共産主義圏と資本主義圏の二群の国に分けて操りやすくし、さらに双方に軍備拡大を競わせて国家経済を疲弊させた。それによって闇の勢力は自分たちが牛耳る武器市場で膨大な利益を双方の国から得た。そして経済的に疲弊したそれらの国から大量の国債を買ってやり、彼らなしでは国家財政が維持できないように仕組んでいった。

このように近代とは、闇の勢力が思い通りに世界を変えていった時代だと言えるだろう。しかしこの一連の経緯を、学校では『近代化』という言葉で括り、まるで何か素晴らしい時代へと人類が脱皮を遂げたかのように教えている。


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