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自由というトリック

ここまで読んできてどんな感想を持っただろうか。多くの人はまだ狐につままれた感じでいるかもしれない。また共感した人がいたとしても、『なんだ、皆が自由になるなんてあり得ないのか、つまらない』と思ったかもしれない。しかし実はそれは自由というものを過大評価し、その過大評価した自由に囚われてきたから持つ感想だろう。

自由が我儘以外の何らかの意味を持つとしたら、それはささやかな内的解放感に違いない。私は70年安保闘争の時、デモで逮捕されて留置所に入れられた。その拘留期間中に小さな明り取りの窓から流れて行く空の雲を見た時、何と雲は自由なんだろうと思ったものだった。そして留置所を出たら、自分の部屋でコーヒーを飲みながら、静かに画を描きたいと思ったのだった。けれども何故か、外へ出て思い切り遊びまわろうとは思わなかった。

問題は好きな時にどこへでも行って好きなことをするということではなく、いつでもどこへでも行くことができて、したいことができるという状況にあることが重要であり、それが自由と感じるのだと思う。これは人間にとって大変重要ではあるが、しかしたかだかそれだけなのだ。それ以上の意味を『自由』に求めたりすると、闇の勢力の思う壺に嵌るだろう。

もし自由というものを離れれば、もっと素晴らしいものを我々は手にすることができる。それは『発見』と『創造』だ。これら二つは我々に真の歓びをもたらしてくれる。発見や創造などと言えば、自由とは次元の違う問題だと思われるかもしれない。しかし自由・不自由に囚われているのは異常な状態であり、そうした状態を脱するには生きる視点を変え、問題の次元を変えなければならない。何故なら真の歓びは自由の中にあるのではないからだ。

これまで説明してきたように、自由を求め、自分の思い通りに事が運ぶことにのみが喜びだと感じる人は精神が歪んでおり、こうした人は他人がどうなろうと二義的にしか考えず、自分の願望を実現することだけを一義的に考えている。しかし多くの人は洗脳教育を施されているために、実際には自分の精神が歪んでいるとは思わず、自分が求める自由は他人を尊重し、自分も尊重され、互いの能力を発揮できる、清く正しく美しいものであるかのように思っている。

自由というトリックここでもう一度基本に立ち返って考えてみよう。この世の中は複数の人間で成り立っている。" We are the world." というタイトルの有名な歌があるが、これは『我々』という複数が集まって初めて世界になるという意味であり、一人では世界になり得ないことを含意(がんい)している。では世界を極限まで縮小して、狭い部屋に二人だけの世界を考えてみよう。もし一方がドラムを叩きたいと思い、もう一方が寝たいと思った場合、解決の道はあるだろうか。この二人が互いに相手を尊重して、しかも互いに自由でありたいと願っていたとしたら、いったいどうすればいいのだろう。

ジャン・ポール・サルトルが書いた『出口なし』という戯曲があるが、これも象徴的に世界を狭い部屋に閉じ込められた二人の男女として描いている。二人は互いにやりたいことも違い、好みも求めるものも違っているため、共存するための泥沼の戦いを強いられる。しかし相手が消滅しない以上、どんなに疲弊しても戦いを続ける以外に道はない、と感じるところで戯曲は終わっている。

お分かりのように上の二つの場合のどちらにも解決の道はない。それは何故か。実は自由という概念を持ち込んだために解決の道が失せてしまったのだ。サルトルも西洋哲学がたどり着いた『個人の独立と自由』という負の遺産を背負わされたために、解決の道を見失ってしまった被害者なのだと思う。

では自由という概念を持ち込まなければどうなるのだろう。例えば相手の中に、我を張っているが思いやりがあると発見するとか、我儘に見えるが反面素直なところもあると気付くとか、強いふりをしているが実はもろい面があるのを垣間見るとか、そうした観察を積み重ねてゆくことで相手に対する思いやりが育まれ、信頼関係を創造していくことができる。これが充実を味わい、歓びを実感できる道だと思う。そのようにして互いが意思疎通できるようになり、気遣いができるようになれば、二人の間に横たわる多くの問題は、譲り合いの気持ちのもとで自然に消えていくだろう。そこに自由という概念は必要ない。もし二人があえてそこに自由という概念を持ち込んだとすれば、再び『出口なし』のような自己主張と相手への否定が始まり、泥沼の戦いに陥っていくだろう。

以上述べてきたように、むき出しの自由は人間社会から平和を奪う。闇の勢力は数百年をかけてまやかしの自由を蔓延させ、人々を間違った人間関係へと向かわせている。我々は自由の概念に囚われることなく、自由にこだわらない別の道を歩むべきだろう。自由という言葉自体、西洋哲学の誤った道筋の中で生まれた言葉であり、それに闇の勢力が幻想を付け加えたのだ。我々はまず、彼らに植え付けられたその自由という幻想から目覚めなければならない。


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