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平等の三つの顔

平等という言葉はしばしば『同じ』という意味に解釈されている。そのためおかしなことも起こっている。けれども誰も平等の本当の意味を知らないので正すことができないでいる。

ひところ話題になった事だが、小学校の運動会で全員が手をつないで一緒にゴールするということが行われた。それが平等だというふうに解釈されたらしい。私は友人からその話を聞いた時、つまらない冗談を言って、と思ったのだが、しかし冗談ではなくて事実だと聞かされ、啞然として言葉を失った。

このような事例を見ると、闇の支配者が一般の人々を『愚衆』と呼び、『馬鹿者ども』と言っていることに頷きそうになってしまう。このようなギャグ漫画みたいなことが現実に起こるのは、関係者の中に平等の意味をきちんと知っている人が誰もおらず、PTAのお歴々を諭すことができないからだろう。

平等にも勿論からくりがある。例えば『平等な社会』、『平等に働く』、『平等な関係』、『男女平等』といった言葉は何を意味しているのかほとんどの人は説明できない。法律の専門家なら一応法的な説明はするだろ。しかし法律を離れた次元でこれらを説明しろと言われたら、果たしてできる人はどれだけいるだろうか。

『平等』は少なくとも三つの顔を持っている。一つは哲学的な意味の平等であり、もう一つは法的な意味の平等、最後は一般庶民が持つ漠然とした雰囲気としての平等だ。これらについて次に説明していこう。


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